行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

当たり前の夏

ツクツクボウシ

 

 先日、今年初めてツクツクボウシの声を聞いた。毎年、高校野球が始まると、このセミの声を聞くことになるので、一連の記憶とセットになっている。子どもの頃、このセミを追いかけることは、なぜかあまりなかった。セミと言えば、アブラゼミやミンミンゼミが主流の中で、このセミは何となく夏の終わりを感じさせるような気がして、採ろうという気にはならなかったのかも知れない。夏休みも中盤を過ぎて、残りの日数を気にし始めるのも、このセミの声を聞いた頃からである。

イカ

 偶然だが、ツクツクボウシの声を初めて聞いた日、職場の仲間が畑で育てているスイカを持ってきて、みんなにふるまってくれた。大きさはさほど大きくはないが、丹精こめて育てたようで、その甘いこと!スーパーで売っているスイカよりはるかに美味い。

  真っ青な空と大きな入道雲、ぬぎちらかしたビーチサンダル、冷えた麦茶等々、縁側で種を飛ばしながら食べた田舎での景色がよみがえってくる。 シャクッとした触感と独特の甘い香り、そして、うだるような暑さの中で、スイカの冷たさが、体温を心地よく下げてくれる。

youtu.be

 8月5日(土)、江戸川花火が4年ぶりに開催された。子どもが小さかった頃には、多くの観客に紛れて、近くまで観に行ったものだが、ここ数年は観にいく事も少なくなっていた。今年は、久しぶりに近くの総合病院の前庭まで散歩がてら観に行ってきた。打ち上げ会場までは1キロ以上離れているので、下の方は見えないのだが、上空に開く花火は十分に堪能することができた。はじめは、10分~20分程度見て、帰るつもりだったが、結局8時25分の終了時まで観てしまった。

 

 3年にも及んだコロナは、私たちの日常から多くのものを奪ってしまった。当たり前だと思っていた事が、実はそうではなくて、多くの時間をかけて大切に築き上げられてきたものなのだという事を、今年は特に強く感じる。

 愛する人や故郷を失いながら今も闘っている人たち、相次ぐ異常気象による自然災害で大切なものを失ってしまった方々のことを想う。

「当たり前のことなど、何一つないのだ。」

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街の風景(模写)


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 1981年に発売された大瀧詠一のシングル。同日発売のアルバム「Long Vacation」からのシングルカット曲である。大瀧詠一というと、自分たちの世代では、どうしても「はっぴーえんど」を思い浮かべてしまうし、あの頃のアグレッシブな日本語のロック(と言って良いか?)から、こういったメロディアスな曲が結びつきにくい。

 多くの音楽を吸収し、血となり肉としてきた彼がたどり着いた、一つの音楽表現の形なのだろう。以前、NHKの番組で、この曲の詩を書いた松本隆が、「当時、カナリア諸島というのが、どこにあるのか誰も知らなかった」という話が記憶に残っている。