行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

古希を迎えました!

 先日、とうとう古希を迎える事になった。早いものである。このブログを始めたのが、65歳だったから、既に5年経った事になるが、実感はあまりない。あえて言うなら体力が少しずつ落ちてきている事と、物忘れが多くなった位だろうか?

いよいよ夢の(?)70代である!

 ところで、誕生日祝いという訳でもないが、今年も恒例の年度末お疲れ様旅という事で伊豆方面に出かけてきた。

 3月11日(月)朝8時半頃、自宅を出発。いつもなら11時過ぎには熱海に着くのだが、今回は結構渋滞していて12時頃になってしまった。昼食はいつもの柾家で。

カマス焼定食

  今回も、カマスの焼定食を注文。この時期なのでブリも良いのだが、一度カマスの味を知ってしまうと毎回注文してしまう。魚の食べ方は決して上手な方ではないが、これだけはきれいに完食!

 宿泊場所は、伊東市一碧湖近くのコンドミニアム型のホテル。建物は古いが、格安で泊まれる事と、温泉があることや静かな環境が気に入っている。午後、3時半頃には早めのチェックインをした。

 3月12日(火)朝から結構な雨!1日降り続くとの事で、屋外での活動は難しそうなので、西伊豆沼津市が運営する「駿河湾深海生物館」に向かう。

 市営の施設のため、かなり老朽化している感は否めないが、深海魚というあまりなじみのない生物の標本が多数展示してあり、それなりに楽しめた。漫才コンビのココリコ田中氏が名誉館長をしているそうで、等身大のパネルが展示してあった。

 この生物館には、戸田の「造船郷土資料館」が併設されていて、そちらも見学する事が出来るのだが、幕末の頃に起きた大地震により沈没したロシアの軍艦を、日本の船大工たちが再建したという史実を知る事が出来た。当時は、まだ鎖国で外国人との交流が禁じられていた時代に、戸田の人々が温かく迎え入れ、無事母国に戻る事ができたそうだ。この時の船長がプチャーチンという人だが、その後、娘のオリガ・プチャーチナさんが戸田を訪れ、感謝の言葉を伝えたそうである。

 現在、日本とロシアの関係は決して良いとは言えないが、このような史実があったことを初めて知ることができた。

宝泉寺(戸田)

 帰り際、近くの宝泉寺に立ち寄ってみた。ここは、船が沈没した後プチャーチン提督一行が滞在していた寺で、この時亡くなった2名の水兵の墓があるそうなのだが、あいにくに雨でこの時には確認できず。今は、静かに佇んでいる。

 3月13日(水)雨もあがり、一碧湖の外周を朝散策してみた。本来1時間もあれば1周できるらしいのだが、途中の道がぬかるんでおり、半周しかできなかった。それでも、早朝の散歩は大変気持ちよく、反対側にある与謝野鉄幹・晶子の句碑まで行きつく事が出来た。(鉄幹と晶子は、新詩社の同人の自宅が一碧湖畔にあり、この湖をこよなく愛していたという。)

「初夏の 天城おろしに雲ふかれ みだれて影す 伊豆の湖」(鉄幹)

「うぐひすが よきしののめの 空に啼き 吉田の池の 碧水まさる」(晶子)

熱川温泉

 伊豆高原を後にして、最後に熱川温泉へ。こちらに泊まるのは3回目だが、圧倒的な湯量と目の前に広がる景色が素晴らしいので大変気に入っている。部屋も、ちょっぴり贅沢して、露天ぶろ付きの部屋を予約。心地よい海風を感じながら入る露天風呂は何物にも代えがたい!この写真には写っていないが、少し左側に大島が見える。

 食事も、なかなか趣向を凝らしたもので楽しませてくれたが、やはり伊豆にきたらキンメダイは外せない。大型のキンメダイが豪華に皿に盛りつけられ、目にもおいしいごちそうである。

 最終日は、熱川から沼津に上がる。2日前にも深海生物館に行ってきたが、今度は沼津市場の横にある、深海水族館へ。この水族館の一番の売りは3億5千万年前に絶滅したと言われていたシーラカンスである。特に、冷凍した2体の展示は世界でも珍しいそうだ。もちろん、日本近海のものではないが、1981年に日本シーラカンス学術調査隊が現地と協力して捕獲した個体なのだそうだ。話には聞いていたが、本物を見るのは初めてで、その大きさと長い歴史に圧倒された。

 70歳という一つの節目を迎えたわけだが、特別何かが変わるわけではない。ただ、今まで同様、健康と毎日の暮らしを大切にしながら、楽しみながら歩んでいきたいものだと思う。

 先日、夕方から突然の雨。その時に、2重の虹が出た。ダブルレインボウは幸運のサインなのだとか。今年も、良い事が訪れるかも?

<My Favorite Songs>

youtu.be

 前回の「Woodstok」に続き、Joni Mitchellの「Both Side Now」。聞きやすいメロディだが、詩はやや難解であると言われている。自身も詳しくは分かってないのだが、成長するにつれて1面的な見方から様々な見方ができるようになっていた一人の女性の歌なのだと解釈している。

 日本では、「青春の光と影」という邦題で、Judy Colinsのバージョンがヒットしたと記憶している。

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