行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

ライブ3連発!

 今年のバンド活動は、4月に千葉県「柏の葉公園」での野外ライブに参加した以外は、荻窪のライブハウスでのオープンマイクが中心だったが、11月~12月にかけて3週連続でライブに参加することができた。

荻窪ジュノン

 11月16日(土)バンドリーダーの母校であるM大学院同窓会イベントに参加してきた。このお店は、荻窪駅近くのカフェレストランで、会場を貸し切って宴会、パーティー、コンサート、演劇など様々な用途で利用されているそうだ。

 音響面は決して充実しているとは言えないが、古くからの友人にPAをお願いして、心地よく演奏することができた。今回から、ベースの佐藤さんの奥様にキーボードとして参加して頂くことにした。

大和市鶴間プリティウーマン

 11月24日(日)神奈川県大和市にある小田急江ノ島線鶴間駅から徒歩1分にあるお店でのジョイントライブ。コロナ前に我々がお世話になっていたMさん企画のライブで、4つのグループが参加した。

今回のフライヤー

 ジャンルの違う4つのバンド演奏は、映画音楽、JAZZ、POPS、GSなど様々で実に楽しかった。特に、最後のBluesバンドはかなりの実力派だった。どのバンドも年齢は高めで、我々と同じ位の70代の方たちが普通に演奏を楽しんでいる姿が印象的だった。

横浜市保土ヶ谷区岩間市民プラザ

 12月1日(日)。今年のトリは、神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩間にて開催された「ハマフォーク」。客席は200席弱だが、我々にとっては本格的なステージでの演奏となる。このコンサートは昨年から参加させて頂いているが、元来横浜市を中心として活動してバンドの方々が継続してきたもので、61回目を迎えたそうである。どのバンドも、長く活動してきただけあって、息の合った心地よい演奏を披露してくれた。

 また、今回は自分の友人も見に来てくれて、そういった意味でも嬉しいコンサートであった。

プログラム

 プリティウーマンとハマフォークでの演奏の様子は、RIVERSのYOUTUBEにアップしているので、覗いてみて頂ければ幸いです。

<My Faborite Songs>

youtu.be

 ボニータイラーはイギリスウェールズの女性歌手。1978年のシングル「愛は哀しくて(It's A Heartache)」が世界的なヒットとなり、一躍スターになった。彼女の独特なハスキーボイスは、実は喉のポリープの手術後、医者から止められていたにも関わらず歌ってしまったために、かすれたのだそうだ。結果としてヒットにつながったのだから、人生とは何が幸いするか分からないものだ。この曲は、ロッド・スチュワートなどもカバーしている。

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秋の軽井沢

 11月10日(日)から2泊3日で紅葉の軽井沢に出かけてきた。今年は4月と8月に続いて3回目になるので、春夏秋と季節ごとに訪ねた事になる。軽井沢は通い始めて、おそらく30年以上になると思う。以前、息子から「よく飽きないね」と言われた事があったが、最近「分かるような気がする」と言うようになってきた。

 軽井沢には避暑地としての魅力もあるが、この地域一帯に漂う空気のようなもの、それは例えば心地よい風であったり、植物や小鳥たちの息遣いのようなもの、お気に入りの店の食事であったり、こちら側にはない、全く別な世界に浸れることだと思っている。ここでは、時間というものが、非常にゆったりと感じられるし、自分らしさを取戻せるような、そんな気がしてくるのである。

 今回は、ほんの一部であるが自分たちの「お気に入り」を紹介してみたい。

浅間山

 軽井沢と言えば「浅間山」。どこにいてもその姿を見ることができるが、かなりの割合で山頂部付近に雲がかかっている。今回も3日間のうち唯一頂上付近の雲が晴れた時間があったので、その瞬間をパチリ。ちょうど、大手のホームセンターに買い物に寄った時に見えたので、急いで撮影した。軽井沢は、霧や雲の多く発生する地域らしい。

 自分たちは、平地に住んでいるので、景色の中に必ず山の見える風景というものに憧れを感じてしまう。

塩沢湖にて(南軽井沢)

 11月のこの時期は、紅葉目当ての観光客がとても多く、雲場池周辺はとても混雑してしまう。(もし、この時期の雲場池を楽しむなら、朝9時前までがおすすめ) 

 今回は、南軽井沢のタリアセンに初めて行ってみた。タリアセンとは塩沢湖を中心として庭園や美術館、レストラン、ショップなどが集まっている施設である。有料だが、観光客は思っていたより多くなく、湖の周囲を紅葉を楽しみながらゆっくり散歩する事が出来た。

沢村ベーカリー

 「沢村ベーカリー」は、中軽井沢のハルニレテラス内にもあるが、こちらは旧軽井沢店となる。早朝は夏場は朝7時から開いていて、好きなパンと飲み物を注文してテーブルで頂くことも出来るし、レストランで食事することもできる。自分たちは、朝の時間をゆっくりと過したいのでレストランの方に行く事が多い。メニューは3種類しかないが、どれも野菜とパンがたっぷり楽しむ事ができる。最近は、食べきれないので「スープセット」を頼む事が多くなってきた。(写真)

アトリエ・ド・フロマージュ東御市

 軽井沢には、「アトリエ・ド・フロマージュ」のレストランと販売店がいくつかあるが、こちらは東御市にある本店である。現在、改装工事中で喫茶コーナーのみで営業しているが、来春にはリニューアルするそうである。この店はチーズを始めとする乳製品が有名だし、大変おいしいのだが、自分たちは必ずと言って良いほど「焼きチーズカレー」を注文している。上の写真は、デザートで注文した「フォンテーヌブロー」

 浅間山に続くゆるい丘陵地の途中にあって、眼下には東御市小諸市の街並みを見渡すことができる。

かまど炊きご飯 御厨(みくりや)

 

 「御厨」については、以前も取り上げたので多くは語らないが、南軽井沢の発地(ほっち)と呼ばれる地域にあって、その景色は昔の軽井沢の姿を想像することが出来る。

 自分の生まれ育った地域には、この写真のように干し柿をつるす習慣はなかったが、一昔前のどこにでもあった農村の姿なのだろう。

レストランGUMBO

 今年になって見つけた小さなレストラン「GUMBO(ガンボー)」。以前から気にはなっていたが、初めて夕食で訪れてみた。感じの良い老夫婦で営んでいるお店で、「予約はしていないのですが」と告げると、「大丈夫ですよ」と言って奥の席に案内してくれた。本当は、予約席が2つあったようだが、自分たちのために、さりげなく席を入れ替えて下さったらしい。こういう静かな心遣いがうれしい。以前は、あまり食べなかったハンバーグが、いつも以上に美味しく頂くことができた。

ハンバーグ(カントリー)

 かつては、旅行と言えば、色々と予定を組んで、あちこち見て回ることが中心だったが、今は好きな場所で好きな時間を気ままに過ごすことが、最大の喜びでありぜいたくであると思っている。なにせ、旅行中の最大の悩みが、「今日の昼食をどこで、何を食べるか?」なのだから💦

<MY Faborite Songs>

大貫妙子 「黒のクレール」

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北海道への旅

 2年ぶりの北海道旅行に出かけてきた。この10年間でおそらく7回目となる。以前も書いたが、我が家は一度気に入ると、少しずつ場所を変えながら何度も同じ所に行く傾向があり、札幌に泊まるのもこの2年間で3回目となる。

 9月30日(月)朝6時過ぎには自宅を出て、羽田空港に向かう。最近は、大きな荷物は事前に宅急便で送ってしまう事にしているため、小さめのリュックサックで出かけられるようになった。

 朝食は、今回も空港内のHitoshinaya(ひとしなや)で。ここは以前のブログでも紹介したが、朝5時半から空いていて、質の良い食材や温かいご飯が食べられるため、利用客は多い。メニューは「鮭御膳」「白粥膳」「茶漬膳」の3つのみ。迷わず「鮭御膳」を注文した。一品一品が美味しいのだが、特に白米が美味い。

Hitoshinaya鮭御膳

 釧路空港には10時過ぎに到着。天気は晴れ。レンタカーを借りて、札幌に向かう。 

 昼食は、前回お世話になった回転寿司トリトン豊平店ヘ。職場の北海道出身者に聞いてみると、ここは北海道でも人気のある店で、大概いつも混んでいるとのこと。今回も混雑を覚悟の上だったが、実際1時間待ちになってしまった。それでも、やはり一つ一つのネタは大変美味しい。ただ、前回来た時はサーモンがとても美味しいと思ったが、今回はホタテやイカの方が美味しいと感じた。季節によって味も変わるのかも知れない。いずれにしても、ネタが新鮮で値段もリーズナブルである。

回転寿し トリトン | 店舗 | グルメ | ようこそさっぽろ

 昼食に大分時間をかけてしまったので、この後は観光施設「白い恋人パーク」などを回って、早めにホテルにチェックインすることにした。

白い恋人パーク

 札幌2日目。朝食を済ませた後、ホテルの目の前にある「北大植物園」内を散歩するため出かけた所、入り口に妙な張り紙が!

 「園内にシカが侵入しました。現在職員が園内を巡回しています。安全が確認できるまで、開演を見合わせます。」

 仕方ないので、植物園の周辺をゆっくり散歩することにしたが、どうも最近札幌市内では、あちこちでシカが目撃されているそうだ。

 10時頃、ホテルを出発。小樽を経由して余市に向かう。小樽から余市までは、わずか30分程の距離なのだが、今までなかなか足を延ばすことができず、気になっていた町である。

 余市といえば「ニッカ」。言わずと知れた、ニッカウヰスキーの蒸留所がある土地で、NHKの朝ドラ「マッサン」のモデルとなった竹嶋政孝が、日本で最初の蒸留所建設の地として選んだ場所でもある。

 蒸留所の方は予約していないと入れないが、レストランとミュージアムの方は誰でも入館できる。

ニッカミュージアム

 ミュージアムの中にはテイスティング・バーがあって、有料だがここでしか味わえないウイスキーを楽しむ事ができるそうだが、残念ながら車のため、あきらめて次のコーナーへ💦

政孝とリタ

 NHKの「マッサン」を見ていなかったので、予備知識はほとんどなかったのだが、本格的なウイスキー造りを目指して、単身スコットランドに渡った時の日記やノートが残されていて、大変興味深かった。日記の中に「苦シイ洋行ダナー、イヤイヤ心棒セヨ」という一文があって、「日本のウイスキーの父」の内面を垣間見ることができた。

 また、大変な反対を押し切りながら結婚することになるリタとの出会いや、生涯愛し続けた情熱家であったことが伝わってくる。単に、ウイスキーの資料館だけでなく、人間としての竹嶋政孝という人物を知る事ができた。

 3日目は10時頃チェックアウト。今日の目的地は定山渓だが、札幌からは小1時間でついてしまうので、北海道神宮と丸山公園に立ち寄った。

北海道神宮

 北海道神宮は、明治天皇が「開拓三神」(大国魂命大己貴命少彦名命)を祀るよう詔を出したのが始まりとされる。また、神社内には北海道開拓の功労者を祀る開拓神社も併設されている。広さは約18万平方キロメートル(札幌ドーム3個分)もあって、緑豊かな自然に囲まれた中にある。ゆっくり歩いていると時折野生のリスの姿も見ることができた。

隣接する丸山公園

 この後、いよいよ定山渓に向かう。定山渓は支笏洞爺国立公園内の渓谷と温泉が有名で、紅葉の頃には多くの観光客が訪れるという。まだ、10月上旬ということで、紅葉とまでは行かないが、いくらかの黄葉を楽しむことができた。

 また、今回お世話になったホテルは、2年前に支笏湖でお世話になったホテルの系列で、本館にあたる老舗ホテルということであった。

ロビーとラウンジ
今年9月にオープンした図書室

 定山渓では、宿泊者を対象としたイルミネーション「ルミナリエ」というイベントを6月から10月いっぱいまで実施していて、食後の散歩がてらに多くの宿泊者たちが楽しむことができる。

ルミナリエ

 今回の旅行は、比較的限られた地域内をのんびりと移動するような旅となった。年齢を重ねてくると、観光中心よりもこういう旅の方がよい。おかげで、日常から離れて頭の中が空っぽになったような気分を味わう事ができた。忙しい時間とゆったりとくつろぐ時間の切り替えもまた楽しいものである。

 帰りの空港では、おきまりの「北海道ラーメン道場」でコーン味噌ラーメンを頂き、大満足で帰路についた。


<My Faborite Songs>

さよならの言葉 小野香代子

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 1977年第13回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)のグランプリ受賞曲である。(この曲は翌年八神純子がカバーしている。)小野香代子はプロとしてデビューしなかったため、レコーディングされた曲としては、この曲と「気まぐれでいいのに」の2曲しか残っていないという。この歌は、亡くなった自分の母親のことを想って創られたものだそうだ。

 

今年も上野東京都美術館へ

上野東京都美術館

 昨年も、ちょうどこの時期だったが、我がバンドRiversのベースの佐藤さんの作品が、優秀賞に入選したとのことで、東京都美術館にやってきた。

今回の入選作品「響き」

 「白亜展」とは、白亜美術協会が主催する美術展示会で、公募による一般市民の方のための美術展である。一般の方の作品とはいえ、そのレベルは非常に高く、自分のような素人には、ただただため息が出るような作品が多い。

 なお、上記の作品のうち、下の双子の子どもたちを描いたのも、佐藤さんの別の作品である。シンプルな作品だが、子どもたちの自然な表情の中に、佐藤さんの優しい眼差しが感じられる。

 美術館を出た後、今年も浅草に向かい、ホテルのレストランでランチを頂いた。

 メインディッシュは5種類の中から1つ選ぶシステムで、自分たちは和食を選んだので鯛のカルパッチョと茶碗蒸しが順番に出てきた。

 左がメインディッシュに選んだ「ちらし寿司」で、他に揚げ栗や秋刀魚のやわらか煮、笹巻麩などが添えられている。右がデザートで7種類位あるデザートワゴンから3つ選ぶことできた。この他に、食前酒と食後の飲み物がついて3,500円は結構お得だったと思う。一つ一つの食事がていねいに作られており、大変美味しかった。

 

 今年は、かつてないほどの猛暑が続いていたが、一昨日あたりから気温が下がり、心地よい風を感じることのできる一日であった。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、まさしくその通りになった。

 私たちの日々の暮らしは、こんな季節のちょっとした変化で、大きく変わるものなのだという事を実感した一日でもあった。

<My Favorite Songs>

 前回、日野てる子と西田佐知子を取りあげたのだが、今回も昭和歌謡を取り上げてみることにする。特に、自分の小学校から中学校時代に聞いていた音楽というものが、現在の自分の音楽体験のルーツのようなものになっている。

黒沢明ロス・プリモス「ラブユー東京」

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 1966年4月に発売された黒沢明ロス・プリモスのデビューシングル。当初はB面の曲だったそうだが、深夜ラジオなどで少しずつ知名度があがり、1968年1月にはオリコンチャート1位を獲得した。当時、自分は中学生だったが、流れるようなメロディと耳に残る歌詞が、子ども心に妙に焼き付いている。グループサウンズ加山雄三などが台頭していた時代に、大人のムード歌謡を知るきっかけになった歌である。

伊東ゆかり「小指の思い出」

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  1967年発売された伊東ゆかりのシングル。この年の「日本レコード大賞」で歌唱賞を受賞、「紅白歌合戦」でもこの楽曲を歌っている。伊東ゆかりの歌手歴は長く、11歳の時に「かたみの十字架/クワイ河マーチ」でデビューしている。

 中尾ミエ、園まりと3人でスパーク3人組を結成し、「シャボン玉ホリデー」などに出演するなどして、徐々に知名度が上がっていったそうだ。決して美声ではないと思うが、少し鼻にかかったようなその歌声は、誰からも愛されていたのではないかと思う。「あなたが噛んだ小指が痛い」という歌詞が、印象的であった。

 

 

 

青春18切符の旅〜(日帰りで鎌倉旅)〜

 9月1日(日)から2日(月)にかけて、6回目の旅となる「青春18切符の旅」で東海道線の旅に出かける予定だったが、台風10号の影響でやむなくキャンセルすることになった。宿泊予定だった焼津のホテルはなんとか無料でキャンセルできたが、切符の方はすでに購入済みだったので、急遽2日(月)に日帰りで「鎌倉」に行くことになった。

 2日(月)朝9時30分、市川駅に集合。JR総武線快速に乗り込み「いざ鎌倉へ」。もう少し早い時間だと通勤客で混み合うのだが、これ位の時間だと比較的空いていて、程なく座ることができた。11時頃には北鎌倉駅に到着する。

 鎌倉に来るのは何年ぶりだろうか。少なくとも5〜6年は経っているかも知れない。台風明けの強い日差しを感じながら、とりあえず紫陽花寺として有名な「明月院」に向かう。

 紫陽花の頃には多くの観光客で賑わったのだろうが、この季節に訪れる人は少ない。若いカップルが数組と外国人の観光客がちらほらという程度である。表通りから細い路地に入り、敷地内に足を踏み入れると、そこには木陰のひっそりとした空気と蝉たちの大合唱が迎えてくれた。

 すでに盛りを終えた紫陽花や趣のある石仏等を見ながら、手入れの行き届いた道を歩いていくと、本堂まではすぐに辿り着く事ができる。

 本堂では、奥の庭園を眺めることが出来る丸窓がある。この窓は「悟りの窓」というそうで、円は何にも捉われないありのままの自然を表しているとのこと。禅寺寺院で見られる建築形式なのだそうだ。この後、本堂の後庭園を散策して、表通りに戻った。

 明月院を出た後、建長寺の手前にある和菓子のお店「歌仙」へ。こちらは、以前北鎌倉にくると必ずと言って良い程訪れていたお店だ。特に、どら焼きが有名だが、今日は暑いので「冷やしぜんざい」を頂いた。まだ、昼食前だったが、たっぷり入った冷たい小豆は、甘さ控えめであっという間に完食してしまった。

 北鎌倉周辺にはこういった和菓子やおしゃれなレストランが点在するが、昔に比べてひっそりとした印象がある。コロナの影響なのか、店を閉めてしまった所が多いのかも知れない。

 建長寺を過ぎたあたりから下り坂を降りていくと、鶴岡八幡宮の脇に出てくる。大型バスの駐車場の横を通り、参道へ。昼食場所を探す。 

 結局、昼食は小町通りで「生しらす丼」を頂く。生しらすは海が荒れたりすると入荷しないと聞いていたが、幸いありつくことが出来た。自分は「生しらす釜揚げしらす丼」を、他の二人は「生しらす&いくら丼」を選択。この日は暑かった事もあり、つるっとした食感と適度な塩味で一気に食べてしまった。(写真を撮る前に2〜3口食べてしまった💦)

 ビールも飲みたかったが、午後の動きを考えて、泣く泣く我慢した。

 食後は「海が見たい」という友人の声を受けて、江ノ電長谷駅まで出る事にした。稲村ヶ崎を含む全長約3kmの由比ヶ浜は、台風のせいか白波が立っていたが、多くの若者たちがウインドサーフィンに興じていた。ここに「爺さん3人」では絵にならないなあと思いながら、しばらく心地よい海風にあたった後、徒歩で鎌倉駅まで戻る事にしたのだが、実はこれが失敗だった💦

 普段の日なら、30〜40分程度のちょうど良い散歩道なのだが、暑さ厳しい炎天下で、体力の消耗が激しく、駅近くまで戻った時には、全員バテバテになってしまった。

 やっとの思いで御成通りまで戻り、レトロな喫茶店でかき氷を注文する事にした。暑さで体温が上がってしまった時は、かき氷に限る。ところで、最近のかき氷は明らかに昔のそれとは異なる事に気づいた。最近のものは食感が柔らかく、以前のようなシャリシャリさがない!ふわっとした舌感触で、これはこれでとても美味しかった。

 うーむ、かき氷も進化しているのだ。

 

 今回の旅はここまでである。日帰りという事もあるが、真夏の旅の場合は暑さを考慮しないと、動ける範囲が限定されてしまう。しかしながら、古い友人たちとの凸凹旅は、毎回アクシデントがあったり、予想外の嬉しいことがあったりで楽しいものである。帰りの電車では、疲れのため、市川駅近くまで爆睡してしまった。

 次回は、秋から初冬にかけて、紅葉か雪見で温泉などと確認して、3人の爺さんたちは別れて行った。次回も3人元気に会えることを念じたい。

<My Favorite Songs>

日野てる子

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 先日、車の中で聴いていたNHKのラジオ番組で「夏の終わりに聞きたい歌」特集なるものをやっていて、この曲が流れてきた。当時、特別なファンではなかったが、聞き覚えのあるメロディと艶のある歌声の記憶は、鮮明に残っている。

 この曲がヒットしたのは1965年というから、自分は小学校の高学年であった。元来ハワイアン歌手としてデビューしたが、ハワイアンとは趣の異なるこの曲が100万枚を超える大ヒットとなったため、彼女の代表作になった。

 ちなみに、「ワンレイニーナイトイン東京」のB面として予定されていたが、ヒットによりA面にさしかえられたそうである。

  今回は西田佐知子バージョンで。

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セミの鳴かない夏?

アブラゼミ | 昆虫図鑑   

 地域によって異なると思うが、自分の住んでいる千葉県市川市では8月になってようやくアブラゼミが鳴き始めた。しかしながら、かつては大量のセミたちが、競い合うように鳴いていた記憶から、最近その数は減っているように感じている。

 自宅の前には小さな梨畑があって(市川市は梨の名産地でもある)、時折消毒液を散布している事も関係していると思うが、セミの減少や分布の変化(都市部におけるクマゼミの増加等)は全国的な傾向にあるらしい。

 また、今年7月の平均気温は、1898年の統計開始以来「最も暑い7月」となったという。これは記録的猛暑となった昨年を2年連続更新しているそうだ。

 最近は最高気温35度36度等と言われても驚かなくなってきたが、たまに33度と聞くと「あっ、今日は涼しいな」と思ったりする。子どもの頃、虫取り網を持ってセミを追いかけていた頃や、窓を全開にして「うちわ」で扇ぎながら昼寝していた頃とは隔世の感がある。

 この他、今年は東北地方を中心にした大雨や地震などが続いているが、 先日の台風5号は太平洋側から日本海側へ横断するという大変珍しい経路であった。太平洋高気圧だの海水温の上昇などが大きく影響しているらしいが、昔学校で習った一般的な「台風の経路」の常識が、通用しなくなってきている。


 「地球温暖化」というの言葉をよく耳にするようになってきたのは、いつ頃からだっただろう?

 調べてみると、「温暖化」あるいは「地球温暖化」という言葉が、使われるようになったのは1970年代になってからであり、1985年にオーストリアのフィラハで開催された世界会議をきっかけに、大きく取り上げられることになったそうだ。

 また、温暖化の主な原因が、人間が排出する「温室効果ガス」つまり「二酸化炭素など」の可能性が極めて高いと言われている事も周知の事実である。

 しかしながら、すでに50年以上経過した現在も世界の二酸化炭素の量は増え続けているらしい。

大気中二酸化炭素の世界平均濃度の経年変化

 今の、若い世代の人たちは、こういう気象の変化をどのようにとらえているのだろうか?そもそも「変化」としてとらえているのだろうか?

 「昔は良かった」と愚痴るのが年寄りの口ぐせだが、明らかに昔と違うことを経験知として肌で感じ取る事ができるのは、高齢者の特権でもある。

 現実問題としてこのような異常な暑さが続くと、「少しずつ変わっていくことの怖さ」を感じたりする。

 いずれ、都市部では「セミの鳴かない日」というのが来るのかもしれない。

<My Faborite Songs>

  Comment te dire adieu(さよならを教えて)フランソワーズ アルディ

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 1968年、フランスのフランソワーズ・アルディの曲として、当時日本でもヒットした。元歌は、1966年アメリカの女性歌手マーガレット・ホワイティングの「It Hurts to say goodbye」という曲で、軽快でおしゃれな感じの曲として生まれ変わったのだと言う。

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  実は、我がバンドのベースの佐藤さんが、この曲が大好きでレパートリーとして取り入れる事になったのだが、全曲フランス語というのはハードルが高くて、一部日本語訳を取り入れる事にした。興味のある方はRiversの方でアップしているので、良かったら聞いてみて下さい。

 

 

机の上

乱雑な机の上

 

  我が家には、狭いながらも自分用の仕事部屋がある。といっても、ここは元々息子の部屋だったところで、息子がひとり立ちしてから、ちゃっかり自分用の仕事部屋にさせてもらったものである。息子のベッドを処分して、ギターや書物その他自分の荷物を持ち込み、壁にはポスターなぞ貼ったりして自分の部屋らしくしてきた。

 また、机と椅子は、昔息子が小学校から使っていた学習机と椅子だったので、家具屋でそれなりのものを購入した。

 机の上には、中央にパソコンを配置してその両脇に小さなスピーカー、左側に照明、右側にはペン立てや小さなカレンダーなどが置いてある。

 ところで、問題は整理されていない書類の山である。

 今、現在自分の生活は、仕事と趣味のほかにオオムラサキNPOや人権がらみの仕事などを入れて、概ね4つの事を行っている。それぞれに書類だの関係資料があるのだが、一つの事が忙しくなってくると、資料の上に別な資料を山積みするという事態になってくる。本来なら、それぞれをきちんと整理して、その都度ファイリングしておけば良いのだが、自慢ではないが、元来整理整頓は苦手なのである。

 一見雑然としていても、概ねどこに何があるかは分かっているので、さほど困ることはないとうそぶいているし、実際自分の机の上の状態は、自分の頭の中の状態と同じであると思っている。

 ただ、それでもいよいよ忙しくなってきて、一つの山の中に幾つかの書類が混在してくるようになると、書類のありかを探すのに四苦八苦するようになってくる。探すのに時間がかかってイライラするし、頭の中も整理がつかずカオスに陥っているのである。こうなってくると、そろそろ限界である。

 いよいよ重い腰を上げて片付けを始めることになる。

 いざ、整理を始めると、思った以上に捨てるものが多いという事に気づく。たくさんの書類があっても、重複するものがあったり、本当に必要なものは意外に少ないのである。感覚的は、半分以上は処分する事になる。

 これは、人にもよるのかもしれないが、人のキャバに見合った量というものがあるのだと思う。そして、片付けが終わると、気持ちもスッキリするのも毎度の事である。

 机の上は、その時その時の自身を映し出している。

<My Favorite Songs>

伊勢正三作<イルカ×伊勢正三

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 自分のバンドでは、ここ数年ずっと洋楽を中心にやってきたが、ふと昔のフォークソングなどを聴きたくなることがある。元来、伊勢正三の声と描く世界が好きで、昔から聴いていたが、今回は伊勢正三がイルカに提供した4曲である。

 実は、イルカという人の歌をじっくり聴くということは少なかったのだが、今あらためて聴いてみると、彼女のファンが多いというのも頷けると思った。

 彼女の素朴な歌い方と、伊勢正三の詩の世界が融合して、一つの物語が出来上がっているように感じた。