行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

暮れなずむ街?

 「♪暮れなずむ街の~」という歌があったが、こんな夕空なのかと思って、仕事帰りに思わず写真を撮ってみた。家に帰って調べてみたところ、「暮れなずむ」という言葉は俳句の世界では春(晩春)の季語になっているそうだ。「なずむ」は漢字で「泥む」と書き、物事がスムーズに進まずに滞るという意味があるとのこと。そこから「日が沈むのが滞る=なかなか暗くならない」という意味になるらしい。そう言えば、海援隊の「贈る言葉」という歌は、人との別れの歌として歌われるイメージがあるが、別れ=春なのかも知れない。

 それでは、今頃の夕暮れ時を表す言葉も調べてみた。「秋の暮れ」「秋の夕」「秋の夕映え」「秋夕(しゅうせき)等々。意外に特別な感じはしない。黄昏(たそがれ)という言葉もあるが、これは誰そ彼(たそかれ)に由来し、夕方の薄暗がりの中で、相手の顔や見分けがつきにくくなった時に、「誰そ彼(そこにいるのは誰ですか)」と問いかけた事に由来するという話。(昔学校で習ったような気がする)これは、季節に関わりなく、使われるものらしい。

 それにしても、日本語というものは大変奥が深い。

朝寒の候(ちょうかんのこう)

 本日、10月31日はいつの間にか「ハロウイン」と言われるようになり、都会では仮装した若者たちが、こぞってお祭りのように練り歩くようだが、ここはあえて日本古来の言い方で「朝寒(あさざむ)」という表現を取り上げてみたい。

 実際、ここ数日朝はとても肌寒く、着るものが一枚多くなったり、少し厚手のものになったりしている。その寒さは昼になると消えてしまうのだが、季節が冬に近づいているのだなあと感じたりする。

○朝寒やたがひに見合ふ顔と顔 小林一茶

(急に冷え込んだ秋の朝、寒さのあまり互いに顔を見合わせているよ)

○朝寒や 煮炊きの湯気の座敷まで 田辺レイ

(台所で朝食の煮炊きの鍋の湯気が 家の奥の座敷にまで漂ってきたよ)

○朝寒も夜寒も人の情けかな  加賀千代女

(朝の冷え込みも夜の寒さも、温かいお茶や声かけ等の気遣いが心に染みるものだなあ)

<My Favorite Photo>

湯西川温泉 R5 1.27

<My Favorite Songs>

We are All Alone. Boz Scags

youtu.be

 1976年ボズ・スキャッグスによる楽曲。1970年代アダルト・コンテンポラリー・ミュージックと名付けられた音楽ジャンルの一つで、少し大人向けな感じのする楽曲を指していたと思う。ビリー・ジョエルやバーバラ・ストライサンド、エルトン・ジョンなど聞きやすい音楽が多かったような記憶がある。その中でも、この曲はとても印象に残っている。

 多くのミュージシャンがカバーしているが、リタ・クーリッジのカバーがなかなか良い。

youtu.be

ハマフォーク60周年コンサート

 10月18日(日)横浜のハマフォークに参加してきた。ハマフォークとは1966年に横浜で始まったフォークソング愛好家によるフォークジャンボリーである。途中20数年休止期間があったが、2009年に復活し、今年は記念すべき60周年にあたる。

 実際、横浜を中心とした人たちが中心に活動しているが、我々のような外様バンドでも受け入れてくれる懐の深い音楽集会である。

 今回の参加グループは7グループとやや少なかったが、OBの方の対談があったり、プレゼントコーナーがあったりと、いつもとは違うイベントも行われた。普段は、Youtubeの方で我々の演奏を公開しているが、今回はこのブログでも紹介させていただくことにした。

<1曲目> It’s A Heartache

  1977年にウエールズ出身のボニータイラー(Bonnie Tyler)が発表して世界的にヒットした曲。独特のしわがれ声は、お世辞にも綺麗とは言えないが、このハスキーボイスとシンプルなメロディが非常に印象に残る曲である。彼女は声帯ポリープの手術を受けた際に、医者の忠告を無視して歌い続けたために、あのような声になってしまったそうだが、それが彼女の個性を決定づけたとも言える。残念ながら今年7月に亡くなってしまったが、この歌は今でも世界中でカバーされている。

<2曲目> Lonesome Town

 Ricky Nelsonによる1958年の曲。リッキーネルソン自身は1985年に飛行機事故により45歳で亡くなってしまったが、歌手だけでなく俳優としても活躍した。ポール・マッカートニーがこの曲をロック調でカバーしているが、亡くなったリンダ・マッカートニーがこの曲を好きだったそうである。

<3曲目> 傘の雫

 1996年発売のイルカのシングル盤に入っていた曲で、作詞作曲は伊勢正三による。いかにも伊勢正三らしいメロディラインと、情景が目に浮かぶような詩の世界が大変美しい曲である。 イルカは「なごり雪」(1975年)「雨の物語」(1977年)「海岸通り」(1979年)など、伊勢正三とのペアで多くの名曲を残してきた。この曲は先ほどの3曲程ではないが、心に残る名曲の一つであると思っている。

<4曲目> On the Road Again

  カントリーミュージックのレジェンドの一人、Willie Nelsonによる1980年の曲。元々は映画のサウンドトラック用に書かれたものだそうである。<忍冬(にんどう)の花のように>

 歌詞を読むと、各地を車で転々と移動していくバンドマンの歌のようだが、個人的には「On The Road Again」という言葉から、「(また、昔のように)夢に向かって旅に出よう」という風に聞こえる。そして「We Are The Best of Friends」は、自分たちのバンド仲間のことを歌っているように思っている。

出番前にパチリ!

最後は、お客さんたちと一緒にパチリ!

 今年も、ハマフォークが無事終わった。満足いく演奏だったかどうかは別として、1年の中で一番大きなライブ活動なので、ほっとした安堵感がある。昨年は、バンますが喉の不調で参加できなかったが、今後ますます、全員が健康であることの有り難さを痛感する。

 いつまでも「On The Road」であり続けたいと願うばかりである。

10月の風景

朝の風景(市川市本八幡) 令和8年10月

 今年も暑い夏が過ぎ、その後は大型台風や連日の雨模様が続いたが、10月になってようやく天候も落ち着いてきた。朝の日差しは、まだ太陽が低い位置にあるせいか、光と影のコントラストがはっきりしている。空気は澄み切っていて、肌寒さを覚えるほどだ。青空はどこまでも高く、秋の雲が見え隠れしている。街を歩くと、金木犀の甘い香りがどこからか漂ってきたりする。

 この季節になって、目に映るもの、聴こえてくるもの、肌で感じるものや香りなどが、急に感覚に訴えてくるようになってきた。それはとても心地よい感覚であり、何故か懐かしく感じるものでもある。また、夕方の景色は、何でもない都会の街ですら、美しく変貌する。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる〈藤原敏行〉

 こういう「感性」は、古くから日本人が持ち合わせてきたもので、自然のちょっとした変化に対して敏感に感じ取ってきたもののようだ。それは、四季という日本特有の季節の変化がもたらしたものでもあるのかも知れない。

 面白いのは、こういう感覚や感性というものを、現代の自分たちも同じように感じるという事である。学校で勉強したから、あるいは誰かから聞いたからというものではない。

 千年以上前の日本人と同じような感覚を、今も持っていることが、非常に面白いと思う。

早春の桜(市川市東菅野) 令和7年3月

 もう一つ、今でも通じる(かも知れない)言葉を・・・

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向ひて月を恋日、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情けふかし。<徒然草 吉田兼好〉

「花は満開の時だけ、月は満月だけを見るものだろうか?(いやそうではない)雨の日に月を恋しく思い、部屋に引きこもって、春がどこへ行くのかを知らないのも、いっそう趣深いものだ」

 これを、恋人とのデートに行く前の気持ちと、別れた後の気持ちに置き換えて見ると分かりやすい。会う前は嬉しくて待ち遠しくて、天にも昇る気分になるが、別れた後は、寂しくて苦しくて仕方ないものだ。実際、徒然草では、このような事も言っている。

男女の情も、人へに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだ名る契りをかこち、長き夜をひとりあかし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。

「男女の機微も、ひたすらに逢って見ている間だけを言うのだろうか。逢えずに終わった残念さを思い、かりそめのはかない契りを恨み嘆き、長き夜を一人で明かし、はるかかなたを思いやり、みすぼらしい宿に昔をしのぶこそ、男女の情緒を解するといえよう。」

 昔習った古文の時間で、ここまで教えてくれたら、もっと良く勉強したのに💦

<My Favorite Picture>

ひまわり畑(成田ゆめ牧場) 平成 30年8月

<My favorite songs>

youtu.be

 1967年発売。ビッキーは同年「恋は水色」で世界的に有名になっていたが、個人的にはポール・モーリアの楽曲の方がイメージとして残っている。そんな、ビッキーが日本語で歌ったこの歌は、甘いメロディとセンチメンタルな歌詞で、とてもよく覚えている。

 歌詞は小園江圭子、曲は村井邦彦。小園江圭子氏は「この広い野原いっぱい」の作詞家として有名だし、村井邦彦氏はこの曲がデビュー作品なのだそうだ。当時まだ中学生だった自分には、甘酸っぱい思い出として心に残っている。

 ところで、当時大活躍していたグループサウンズ「オックス」がカバーしていた事を、最近知った。歌っているのは「赤松 愛」!超レアものである。

youtu.be

 

 

 

 

高島野十郎展(渋谷区立松濤美術館)へ

高島野十郎<からすうり> 1935年

 高島野十郎(たかしまやじゅうろう)という人の没後50年の美術展を見に行ってきた。場所は、渋谷の松濤美術館。初めて行った美術館だったが、渋谷駅から約15分、井の頭線神泉駅からだと5分位の場所にあって、閑静な住宅街の中にある。この美術展の事を知ったのは、実はつい最近で、しかもSNS上で紹介されていたことによる。数枚の絵を見て何となく気に入っただけで、ほとんど予備知識はなかったのだが、実際見に行ってとても良かったので紹介したい。

<さくらんぼ>昭和31〜32年

<高島野十郎(明治23年〜昭和50年)について>

 東京帝国大水産学科を首席で卒業した後、独学で画家の道を選ぶ。美術団体に属する事なく、自らの理想とする絵画を見出そうとした。孤高の画家と言われるが、ゴッホの影響を受けて「ひまわり」に倣った絵を描いたり、青木繁や岸田劉生等との交友があったようである。また、兄で詩人の高島宇朗(うろう)が禅宗に帰依していた事から、仏教思想に強く関心を持っていたそうである。上の作品「さくらんぼ」では、みずみずしい「さくらんぼ」の手前に一粒だけ黒く変色したものが描かれている。自然の摂理あるいは命の移ろいを描いているように見える。

<蝋燭> 大正時代(1912〜26)

  高島の代表的な絵画の一つ。親しい友人や知人に送ったものだそうだ。暗闇に浮かぶ蝋燭の炎が小さな画面の中に描き込まれた作品である。大変シンプルな構図だが、高島の求めていたものが光として描いているのだろうか?

<満月> 昭和38年頃

 高島は「闇を描くために月を描いた。月は闇をのぞくために開けた穴です。」という言葉を残しているそうである。初期の作品から晩年に近づくにつれて、周囲の風景は削ぎ落とされ、満月のみが描かれるようになったという。この「月」も「蝋燭の炎」も共通するものがあるのかも知れない。

高島野十郎<遺稿ノート>

 高島の残した遺稿ノートの中に次のような言葉が書かれている。

「花ひとつ、砂一粒を人間と同物と見る事、神と見る事」

 今回は、特に印象に残った作品だけを取り上げたが、実際には多くの静物画や風景画なども展示されている。時代によって描き方には違いもあるが、どの作品も非常に緻密で細かな部分にまで細心の注意が払われている。このような彼の感性が作品に現れているのだと思った。

和菓子屋「瑞穂」(原宿)

「瑞穂」の豆大福

 松濤美術館に行く前に、原宿の「瑞穂」という和菓子屋に立ち寄る。ここは、文京区音羽の「郡林堂」、港区高輪の「松島屋」とともに東京三大豆大福と言われる老舗の和菓子屋である。取り扱う商品は「豆大福」のみ。この日も次から次へと買い求める人が並んでいた。

 ちなみに、これで3大豆大福の全ての店を制覇したことになる。

かっぱ橋「飯田商店」

 美術館の後は、地下鉄を乗り継いでかっぱ橋の道具街へ。先日も「ぶらり途中下車の旅」で取り上げられていたせいか、平日の午後にも関わらず結構な賑わいである。

 かっぱ橋に来たのは久しぶりだったが、調理器具、食器、包丁、食品サンプルなど多様な商品を扱っていて、見て回るだけでも楽しい。今日は、卵焼きを作るための超便利グッズ(卵を溶く、巻く、切るが1本でできる!)と、永久にあく取りができる「あく取りさん」という商品を購入した。

甘味処「菊丸」のソフトあんみつ

 この日も暑かったので、最後にかっぱ橋近く、菊水通りに面した甘味処「菊丸」へ。店内は多くの女性客で賑わっていたが、幸いな事に入ってすぐ左側のカウンター席が空いていた。注文は迷わず「ソフトあんみつ」。一緒に出してくれた冷たい抹茶が嬉しかった。あんみつの味も適度な甘さで大変おいしかった。あとで、気付いたのだが、こちらの店はこういった甘味以外にも穴子いり五目ちらしやハンバーグなども提供しているらしい。ぜひ、もう一度立ち寄りたい店になった。

<My Favorite Photos>

鎌倉「浄明寺」の竹林 平成30年3月

<My Favorite Songs>

CSN&Y  「Suite:Judy Blue Eyes」

youtu.be

  クロスビー・スティルス・ナッシュ・&ヤングは1960年代後半から70年代にかけて、活躍したフォークロックとも言えるジャンルを確立したスーパーグループの一つ。元バーズのデビッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルス、元ホリーズのグラハム・ナッシュの3人が結成し、その後ニール・ヤングが加わってCSN&Yと呼ばれるようになった。既存のフォークソングやロックンロール、カントリーミュージックとは異なる次元の音楽であったと記憶している。

 友人たちと「Carry On」のカバーを試みたが、あまりにも複雑な音の作りに断念してしまったが、通常とは違う「オープンチューニング」などを知ったのも彼らの影響であった。

 また、当時人気のあった「ガロ」は、日本で最も優れたカバー曲を演奏していた。

youtu.be

 

東京ぶらり旅(豊川稲荷〜門前仲町・深川八幡堂)

豊川稲荷東京別院

 約1年振りに、赤坂の豊川稲荷(東京別院)に出かけた。ここは以前も紹介したが、お参りすると金運・財運アップのお守りとして「融通金」を頂く事が出来る。融通金には本物の10円硬貨が入っていて、財布に入れておく。願いが叶うか1年後にお礼を込めて返却し、新たな融通金を頂くというものである。今年1年何とかやってこれた事に対して、お参りしてきた。

融通金

 お参りを済ませた後、急に雨が降ってきたので、慌てて最寄駅の赤坂見附駅近くの喫茶店に駆け込んで、アイスコーヒーとカルボナーラで軽めの昼食にする。

 午後は、地下鉄を乗り継いで門前仲町の深川へ。この時期は深川八幡祭りが開催されていて、16日には54基の神輿が練り歩く「各町神輿連合渡御」というものが開催されるそうだが、今日の所街は普段通りの様相であった。

人情深川ご利益通り

深川不動堂

 深川不動堂は、東西線の門前仲町駅を降りて数分の所にある。この「門前仲町」という地名は、江戸時代に創建された富岡八幡宮の門前町と、永代寺(富岡八幡宮の別当寺)の門前にあった「永代寺門前仲町」からきているそうだ。周辺の町と併合・改称が行われ「門前仲町」という地名になったそうである。

 深川不動尊の参道や周辺には、昔ながらの和菓子屋やレトロな喫茶店なども並んでいて、歩いていくと昭和のノスタルジックな気分を味わう事が出来る。

 こちらは、きんつばで有名な店「深川華」。午後2時頃伺ったが、本日の分は売り切れてしまい、3時頃になるとの事。先日テレビでも紹介されただけあって、人気のようだ。3時過ぎに伺う旨を伝えた、近くの喫茶店を探す。

甘味処「由はら」

クリームあんみつ

 本当は「いり江」という甘味処に行くつもりだったが、あいにく休みだったので、ブラブラ探しながら見つけた「由はら」という店に入る。テーブルが5〜6席の小さな店で、まさしく昭和レトロな店である。高齢の女主人が一人で切り盛りしていて、素朴な温かみのある店だった。注文は「クリームあんみつ」

移転前の「伊勢屋」(ネット借用)

 3時過ぎにきんつばを受け取って、最後に「伊勢屋」という店に立ち寄った。こちらは、団子が有名なのだそうだが、いなり、大福などの他に煮物や麻婆豆腐などの惣菜も扱っている。また、本来なら食事処でもあったらしい。とりあえず今夜のおかず用に、煮物と玉子焼きを購入した。なお、本店はビル建替え工事中で仮店舗にて営業している。ぜひ、リニューアル後に再度訪問したいものである。

<My Fsvorite Photos>

北海道美瑛町「青い池」H30.7.22

<My Favorite SongS>

The Birds『My Back Pagess 』

youtu.be

  ボブディランが1964年にリリースした曲である。ザ・バーズによるこのカバーは3年後の1967年。自分の世代にとってボブディランは、もう少し上の世代の歌手かも知れない。自身も「風に吹かれて」で代表される「反戦歌を歌う歌手」として捉えていた。(ディラン自身は、反戦歌を書いたことは一度もないと言っているそうだが)

 ギター一本で、例のしわがれた声で歌うスタイルは、あまり馴染みがなかったのだが、バーズのようなバンドのカバーを聴くと、メロディメイカーとしての一面を垣間見る気がする。

 この曲には「Ah,But I was so much older then,I'm younger than that now」というリフレインがある。和訳すると(ああ、だが私はとても年老いていた。そして今、私はあの頃よりずっと若い)ということになる。ディランの書く詩はなかなか難解だが、独善的で一人よがりだった過去を振り返り、今の自分の方がよっぽど自由だと言っているようにも聞こえる。



 

新車を購入しました!

  新車を購入した。と言っても自転車である。今まで乗っていた自転車は、ブレーキの部分の調子が悪く、それを騙しだまし乗っていたのだが、そろそろ限界かなという事で購入する事にした。

  自転車を選ぶに当たって、一番重視したのは「軽さ」である。自分は10年程前に膝を痛めた事があって、それ以来あまり膝に負荷をかけられなくなっている。今回選んだ自転車は「khodaabloom(コーダーブルーム)」というメーカーのもので、重量は9.9kg。一般的なクロスバイクで10kg~13kg、ママチャリで16kg~20kgというから、結構軽い方だと思う。また、日本のメーカーという事で安心感があった事も、選んだ理由である。

 以前自転車好きの友人から、「10万円以下の自転車は、買わない方が良い」と言われた事があったが、日常使いのものとしては、十分である。

 新しい自転車で風を感じながら走る事は、とても爽快である。初めて自転車を買ってもらった時の事を思い出したりする。小学生の頃の自分の自転車は、兄のお下がりで、父親が水色のペンキを塗ってくれたものだった。近くの公園に友人たちと自転車で集まる時は、仲間の自転車が羨ましくて仕方なかった。だから、中学生になって、初めてドロップハンドルの自転車を買ってもらった時は、嬉しくて仕方なかったものである。

 久しぶりに、1枚描いてみた。描いた言っても、これはIBISPAINTという無料のアプリを使った「なぞり絵」のようなものである。それでも、大まかなラインを写しとった後の、細かな補足線や陰影などは自分で加筆するので、ここまでで15時間もかかってしまった💦最後は、かなり雑な仕上がりになってしまったが、このへんで手を打つ事にした。次回は、また色を使って見ようと思っている。

〈My Favorit Songs〉

裕木奈江「転校」

youtu.be

 伊勢正三が他の人に提供した曲はいくつかあるが、この曲は最近見つけたものである。そもそも裕木奈江という人の名前も初めて知ったが、調べてみると歌手兼女優さんなのだと言う。

 1993年というから、正やんが長い沈黙の後、久しぶり出したシングル「ほんの短い夏」と同じ年である。とても良い曲なので、バンドの方でもやってみたいと思っている。

Rさんを偲ぶ会

 先日亡くなった「Rさんを偲ぶ会」が、練馬区桜台の区民館で開催され、Rさんのご家族やかつての音楽仲間が集まった。本当は先月の27日に予定されていたのだが、あいにくの台風のため延期になっていたものだ。この会の主催は、音戯箱(おとぎばこ)と言って、通称トメさんが発起人となり、以前一緒にバンド活動をしていた経験のあるタケちゃんが世話人のという形で運営された。

 はじめに発起人であるトメさんからの挨拶の後、演奏順はいつもの通りあみだくじで。1グループ(個人を含む)15分の2回回しという流れである。

いきものがたり

 本来は4人編成だが、今日はそのうち2名が参加。エレキギターを交えて洋楽あり邦楽ありのパワフルな演奏を聞かせてくれた。

Arpeggio(アルペジオ)

 同じ中学校の同級生2人、高校生の時の仲間による3人組。日本語の歌を綺麗なハーモニーにのせて演奏してくれた。

ひとみさん

 Rさんが通っていたお店のオーナーであるひとみさんが、この会の事を聞いて駆けつけてくれた。

 主催者のトメさんのグループ。本来は他の2人との3人組だが、それぞれ都合がつかず、応援部隊と一緒に歌ってくれた。

 

 Rさんは、オリジナルソングをいくつか持っていて、彼の作った歌を仲間たちで演奏した。

Rivers

 我がRiversも参加。Rさんが好きだった伊勢正三の「海岸通り」「傘の雫」「北国列車」などを演奏した。

集合写真

 1人の人間のために、こんなに多くの仲間たちが集まったのは、ひとえに彼の人柄なのかも知れない。(都合がつかず、参加出来なかった仲間も大勢いた。)

  また、多くの人たちが繋がりあえる事の出来る「音楽」というものの強さを改めて感じた。

〈My Favorit Photos〉

軽井沢

〈My Favorit Songs〉

傘の雫 イルカ

youtu.be

 今回演奏した「傘の雫」を。