行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

普通ということ

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ニーチェの言葉

 人生を65年以上も続けていると、自分の見方や感じ方あるいは考え方は、固定化してきているのではないかと思うことがある。朝起きた時、まだぼーっとした頭で「あー、今日は仕事だー」って思った時の感覚、食事をしながら、九州豪雨やコロナのニュースを見ている時に感じたり思ったりする事、朝食の目玉焼きに醤油をかけながら、「そう言えば目玉焼きにソースやマヨネーズをかける人っているよねー。」と呟いたりする事等など。

 誰もが日々の生活の中で、毎日同じように思ったり考えたりするのだろうけど、それぞれの「普通」はみな違っているはずで、その違いがどのようにして生まれてくるのかを考えてみるのは、結構面白い。

 1つは、国や文化の違い。よく「外国人が日本に来て一番驚いたのは・・・」等と言うテレビ番組があるが、生まれた国も文化も違う人たちが、様々な習慣や考え方に違いが生まれるのは当然だろう。ヨーロッパの人たちが多様性を重んじ、自己主張をはっきり行うのに対し、日本人は和を重んじ、一歩下がって協調することを大切にする等がその例だろう。

 2つ目は、男女の違い。学生の時に精神衛生学の授業で、男性と女性の「生きがい」のちがいについての話を、なぜか今も覚えている。その教授によれば、全般に男性は「行きがい」を、女性は「居がい」を求めるものだそうだ。「男性は目的をもって、仲間と肩を組みながら進んでいく「行きがい」を、女性は家族や仲の良い誰かと一緒に居る「居がい」を好む傾向があるというものだったと思う。

 3つ目は、性格ないし血液型の違い。血液型の方は、科学的な根拠はないそうだが、性格の違いがその人の物の見方や考え方に大きく影響していることは、だれもが疑わないだろう。「あの人はB型だから・・」という表現は、かなり市民権を得ていると見て良いだろう。

 4つ目は、生活環境や成育歴の違い。やはり、子どもの頃に見聞きしたことや経験した事は、その人の成長過程に大きな影響を与えているだろう。もちろん、成長と共に変わっていくことはたくさんあるが、自分自身の奥底の方にしっかり根付いているような気がする。自分は、子どもの頃に大きな犬にのしかかられた経験があり、いまだに大きな犬は苦手である。     等々

 

 ただ、そんな中でもはじめは「違い」として、向こう側の存在だったものが、やがて「自分の見方や考え」側に入り込んで来る事もある。そういう時は、概ね自分の見方・考え方の方が化学変化を起こして、その「違い」を受け入れ、A+BがA’’やB’’、あるいはCに変化する瞬間でもある。

 自分にとっての「普通」が、変化していくことは楽しい瞬間でもある。

 

 たまには、こんな曲で異国情緒でも!


Mandolin/Namban Mandolino 南蛮マンドリーノ/Marionette 「大分むぎ焼酎 二階堂」TVCM曲(2015「孤独の風」篇)