行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

「視点」

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 毎日というわけにはいかないが、時間があれば散歩することにしている。時間もまちまちで昼間だったり夜だったり、30分程度の時もあれば1時間以上歩くこともある。

 歩いている間は、街の店先のウィンドウを覗いてみたり、人の家の庭先の植物に目をやったりしながら歩いて行く。毎回、大体同じような景色を見ているわけだが、ふっと目が向く瞬間がある。それは、今まで何もなかった木の枝に実がなっていたとか、古い家があったはずのところが更地になっていたとか、つまり、何か変化があった時である。

 何か今までと変わった事があった時に、「はっ」とするものらしい。

 また、大分前の話だが、仕事仲間7~8人で、晩秋の菅平高原に出かけた時の事である。菅平高原は、昔からサッカー、ラグビー、テニス、スキーなど、学生の合宿所として有名な別荘地で、我々の宿泊先もその一角にある白樺林に囲まれた瀟洒な施設であった。

 着いた日の夜は、御多分にもれず宴会で盛り上がり、翌日はほぼ全員が二日酔い状態となっていた。遅めの朝食の後、少し近くを散歩しようということになり、晩秋の雑木林をふらふらと散策していた時に、誰かが「この、キノコ食えるんだぜ。」と言ったことで、突然世界が変わった。

 それまで眠気がとれずぼんやりしていた頭が、まるで宝探しのように全員キノコ探しに夢中になったのである。ものの見え方が、急に変わるというのは、確かにあるものだと思った。

 

 人が物を「みる」という時、大方は「見えている」だけの事が多い。特に、見慣れている物や事に対しては、特別に意識することもなく、ぼんやりと見ているだけである。しかし、そこに何か変化が起こった場合、人は「今までと何が変わったのか」「どのように変わったのか」を確かめようとするようだ。確かめる事で、安心するのかも知れない。

 また、ぼんやりと見ていたものが、「視点」を与えられたことによって、人の見方は変わるものらしい。それが、自分にとって有意義なものならなおさらである。

 先日のラグビーワールドカップでは、まさしくそういった視点をもらったように思えた。「魂のぶつかりあい」「協力と信頼」「正確な技術に裏付けされた攻撃」等々・・

 新しい視点を得るという事は、自分の人生を少し豊かにしてくれる。

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