神無月も終盤となり、各地で紅葉が見頃というニュースも聞かれるようになってきた。この時期になると、空は高くなり、うろこ雲やひつじ雲と呼ばれる巻積雲の群れが、青空を埋めるようになる。これが、夕暮れ時になり西の空が真っ赤に染まる頃になると、刻々と色合いが変化していくその有り様は息を飲むほど美しい。
それは、ふと足を止めて、空を見上げたくなる瞬間でもある。
ところで、人はなぜ、夕焼けを見て、美しいと感じるのだろう。
夕焼けといえば、第一に浮かんでくるのは、子どもの頃に過ごした時代へのノスタルジーである。昭和20年代後半生まれの自分は、当時、東京の世田谷に住んでいた。今でこそ世田谷といえば、おしゃれな街並みをイメージするが、当時はあちこちに空き地があって、子どもたちの良い遊び場になっていた。
西岸良平氏の「三丁目の夕日」のような世界があちこちにあって、あたりが薄暗くてよく見えなくなるまで遊んでいたものだ。夕焼け空を背にしながら、灯りのともり始めた街並みを小走りに走って帰った記憶は、今でも心象風景として残っている。
夕焼けは、こういう古い記憶を呼び覚ます郷愁なのかも知れない。
ところで、古い記憶といえば、人間は太古の昔から狩猟や農耕などを通じて、生きる糧を得てきた。しかし、せっかく猟に出ても何も収穫のない日もあっただろうし、干ばつや大雨等によって育ててきた農作物を失ってしまう日もあっただろう。
そういう厳しい生活の中で、夕焼けは一日の終わりを告げる合図であったろうし、やすらぎを覚える瞬間であったのではないだろうか?
朝から続けてきた闘いの終わりを告げるその情景を、人は何万年も前から見続けてきたに違いない。夕焼けを見ると美しいと感じるのは、ひょっとしたら、そういう人間の長い歴史の中で育まれてきた、遺伝子のようなものが、我々の中に組み込まれているのかも知れない。
今日は、「夕焼け」にまつわる音楽を。
「屋根の上のバイオリン弾き」 Sunrise Sunset