行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

薄明(マジックアワー)

夕暮れ色?

 仕事帰りの夕刻、こんな夕景に出会うことがある。普段は、そんなにじっくり観察している訳ではないのだが、昔の人たちはどんな想いでこの景色を見ていたのだろう?

 元来「夕焼け」という単語は、比較的新しいもので、古代にはなかっと考えられているそうだが、それでも夕陽を歌った和歌や短歌は昔から多く残っている。

中大兄

『海神(わたつみ)の とよはたくもに 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ』

(海にたなびく雲に夕日がさしている。今夜は澄んだ月が見られるだろう)

寂蓮

『さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ』

(さびしさとは紅葉に感じるだけではなかったのだ。常緑樹の山の夕暮れよ)

藤原為家

『海に入る 難波の浦の 夕日こそ 西にさしける 光なりけれ』

(海に入る難波の浦の夕日こそ、西方(西方浄土)に射す光なのだ)

正岡子規

『夕日影 照り返したる 山陰の 桃の林に 煙立ちけり』

(夕日が照り映える山の陰の桃の林に煙が上がっている)

土屋文明

『西方に 狭ひらけて 夕あかし 吾が恋ふる人の 国の入日か』

(西に山がひらけて夕日があかい。恋しい人の住む土地に沈む夕日だろうか)

 多くは、風景描写であって、そこに流れる筆者の想いは、読む人が想像するしかないのだが、100年たっても1000年たっても、同じような景色をみて、それぞれが様々な想いにかられている姿がとても興味深い。

 

 ところで、「夕暮れ」を表す類語には、実にたくさんの表現があるものだ。

 「日暮れ」「夕刻」「夕映え」「夕景」「暮相(くれあい)」「逢魔が時(おうまがとき)」「彼は誰時(かわたれとき)」「薄明(マジックアワーの頃)」「トワイライト」「黄昏」「夕闇」等々。

 英語まで混ざってくるとさらに増えそうだが、この「薄明(マジックアワー)」という言葉に興味を持って、さらに調べてみた。

薄明(マジックアワー)

 この時間は、太陽が地平線の下にかくれて影がなくなるために見えるもので、太陽の高さによって「天文(てんもん)薄明」「航海(こうかい)薄明」「市民(しみん)薄明」の3つに分類されるそうだ。

Honda Kids 魔法のような色の空はなぜ見える



 日の出、日の入りともに「市民薄明」の時間が最も美しいらしく、写真を撮るならこの時間が一番のおすすめなのだそう。

 ちなみに、「なぜ夕日の色が赤く見えるのか」だが、太陽の光には多くの色が混ざっていて、空気の中の微粒子にあたって散乱する時に、波長の短い青い光ほど散乱しやすく、赤い光は散乱しにくいので、人間の目に届く時には赤い光が届くと言われている。このあたりのことは、科学館の実験内容にも関連してくる。(ニュートンの発見など)

ウェザーニュースより

 折しも、季節は春。満開の桜の中を、多くの人たちが行き交い、春爛漫の饗宴を楽しんでいる。小さな別れと出会いを繰り返しながら、季節は移り変わっていく。(ちなみに今日は、わが職場でもささやかな離任式があり、お世話になった方たちとのお別れの日となった。)

<My Fabourite Songs>

「Twilight Time」 The Platters


www.youtube.com

  今回のブログのテーマに合わせてこの曲を。言わずと知れたアメリカのコーラスグループで、1955年の「オンリーユー」で知られる。この「トワイライトタイム」は1958年リリース。オリジナルメンバーは既に脱退したり、亡くなったりしているが、現在はこのメンバーでThe Plattersとして活動しているそうだ。

 Plattersは、子どもの頃、夏休みに親戚の家に遊びに行った時に、お兄さんたちがレコードで聴かせてくれた記憶がある。まだ、音楽の良し悪しなど到底分からなかったが、すごく大人の曲という印象があったし、今聞いても古き良き時代の音楽という気がする。良い音楽とは、時間も空間も乗り越えて人の心の中に残り続けていく。