行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

見えることと見えないこと

f:id:wf160310-6741:20191007123919j:plain

 先日、東京駅周辺の地下駐車場に車をとめようとした時の事である。

 その日は、平日の午後にも関わらず、かなり混んでいて、駐車場の入り口では「満車」の表示が出されていた。ただ、概ねこういった駐車場では、「満車」となっていても、数台の空きがあることも多いので、表示を無視して地下に降りていった。

 私は、空きスペースを探しながらゆっくりと車を走らせていたが、そのうち一人の老紳士が片手をあげて、何か合図をしているような姿が目に入った。私にはその合図の意図がよく読み取れなかったのだが、やがてそれが「(自分の)車が出るから、ここが空くよ。」と教えてくれていたらしいのだ。おかげで、私はその老紳士が止めていたスペースに車を置くことができたのである。

 その老紳士の善意に気付くことができなかった自分を、少し恥ずかしいと思った。

 もう一つ、朝の報道番組を見ていた時の話し。

 その番組では、アマゾンの森林火災の話題を取り上げていた。南米にある世界最大の熱帯雨林・アマゾンで続く大規模な森林火災。 軍も出動し、消火活動を続けているが、火災により発生した大量の二酸化炭素や煙は、近隣人々の生活圏にも及びはじめていて、健康被害を引き起こしたり、立ち退かざるを得ない状況に追い込まれたりしているという。そして、その原因として、昨年の選挙に勝利し、この1月から就任したばかりの大統領が、農地開発を目的とした違法な野焼きの取り締まりを緩めたことが、火災の増加につながったという指摘があるそうだ。

 番組の最後に登場した、哲学者である内山節(たかし)氏の話が心に残った。

 「人間は、手触り感があるというか、自分で感じられるものに対しては、真剣に向き合える。だけど実感のないものは、かすんでしまう。」

  まだ見ぬ未来の地図を描いていくには、本当に大切なものを見極めていく感性や想像力と幅広い知見等が備わっていないと、方向を見誤るということか。

『昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。』    

 久しぶりに、金子みすゞの詩を想い出した。