行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

老いるということ②

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 前回は、年を重ねる事と精神面の変化についてふれた。その中で、最近は生活が単調になり、昨日の夕食のメニューすら、すぐには思い出せないことがあるとも書いたわけだが、確かに、記憶力が年々落ちていることは、切実に感じている。

 特に、テレビを見ていてタレントの名前が思い出せないとか、家を出た後にカギを閉めたかどうか不安になるという例の現象である。風呂に入っていて、今シャンプーをしたかどうかが分からなくなる時があると言っていた友人がいたが、まんざら指をさして笑えないところが少し寂しい!

 どうも、毎日の生活の中であまり活用されない記憶や、ルーチンワークとして無意識に行っている事についての記憶力が、以前よりは確実に落ちているようだ。

 ただ、このような記憶力の低下と、精神面の老化は果たしてイコールなのだろうか? また、精神面の老化と認知症は関係があるのだろうか?

 

 「うーん、なんだか難しい話になってきたぞ💦」と思っていたら、1986年にアメリカ・ケンタッキー大学で行われた認知機能の研究の話を読んだ。(注)

 『80代半ばで亡くなったシスター・バーナデッドという修道女は、亡くなる直前まで何の支障もなく修道院の毎日の務めをこなしており、認知機能検査でも高得点を取り続けていた。ところが、彼女の死後、脳を調べてみるとアルツハイマー認知症に特有の大量のアミロイドーβが沈着しており、「まるで重度のアルツハイマー認知症のような脳」だったのである。認知症を発症しなかった修道女は他にもおり、彼女たちの多くは、日々多くの人とコミュニケーションをとり、毎日の出来事を日記に記したり多くの書物を読んだりしていて、自然の恵みに感謝しつつ、土を耕し作物の世話をすることを日課にしていた。また、人や社会に役立つための奉仕活動を通して、一人一人が役割を持って積極的に人や社会に繋がっていこうとしていた事も、認知症発症から守っていたのではないか。』というわけである。 

 いまさら、修道女のような生活はできないけれど、日常の日課を大切にしながら、本を読んだり時折ブログを書いたり、畑仕事位ならできるかも?

(注)「『朝ドラ』を観なくなった人は、なぜ認知症になりやすいのか?」       奥村 歩 著