行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

老いるということ①

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 今年の3月で65歳を迎えた。今までシニア世代と呼ばれても、誰の事かとピンと来ていなかったのだが、60歳で36年間勤めてきた職場を定年退職、その後週3日(正確には2.5日)の再任用期間も終わり、いわゆる完全退職した事で、あらためて自分の年齢や今後の事などを意識するようになってきた。

 そもそも、シニア世代とは何歳くらいからを言うのだろうか。調べてみると概ね60歳前後というところが多いようである。(そういえば、60歳を迎えた頃に、映画館のシニア割引き(通常1.900円が1,200円)というのがあったっけ)

 自分の老いというものを実感するのは、何といっても自身の健康面や体力面からのことが多い。60歳前には病院というと、せいぜい風邪を引いた時の内科や、虫歯治療のための歯医者程度だったが、今はそれに加えて眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科等々オールラウンドプレーヤーの仲間入りである。診察内容まで語りだすと、文面が足りなくなるので控えるが、とにかく診察券がやたらに増えた。

 また、体力面での落ち込みも著しい。定年退職後、仕事量の減少と比例するように体力の低下を感じており、特に脚力の衰えが著しい。それに加え、自分の場合は数年前に左の膝を痛めており、特に膝に負荷がかかるゴルフやボーリングなどは控えている。

 では、精神面(思考力や判断力等)での変化はどうだろうか?

 実は、精神面の変化は、健康面・体力面の変化に比べると、自分では意識しにくいもののようだ。「自分は何も変わっていない」と思いたい心理が働くものなのか、日々の生活の中で実感することは少ないと思われる。

 ただ、1日の生活が以前より単調になり、外部からの刺激が少なくなると、時間の流れがとてもはやくなり、昨晩の夕食のメニューすら即答できないということも多くなってきている。「老後には教育と教養」が大切であるという言葉がある。「今日行く(教育)ところと、今日用事(教養)があること」なのだそうだ。

 苦笑せざるを得ない言葉だが、妙に納得してしまう今日この頃でもある。