行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

内向きの不要不急

f:id:wf160310-6741:20200521153752j:plain

 緊急事態宣言が続く8都道府県のうち、京都、大阪、兵庫の関西3府県で解除されたが、埼玉、千葉、東京、神奈川の首都圏4都県と北海道では継続という事になった。

 ようやく、長く暗いトンネルの向こう側に、ぼんやりとした灯りが見え始めてきたという所だろうか?

 すでに、先週39県の緊急事態宣言が解除され、日々の生活を取り戻し始めた人々の喜びの声が聞かれる一方、はやくも「気の緩み」発言も出てきている。

 しかし、毎日のように「Stay Home」「3密」「Social Distance」等のもとに自粛生活を余儀なくされてきた事を考えると、抑えてきたものが一時的に噴き出してくるのは、ある程度やむを得ない部分もあるだろう。

 

 ところで、昨日NHKの朝の報道番組で、精神科医斎藤環氏が「内向きの不要不急」という概念を提案していたのを、興味深く受け止めた。

 これは、自分の生活の中でのささいなこと、くだらないこと、どうでもいいことに時間をかける事の必要性を説くものであった。

 

 『一見、大事ではないこと、緊急性がないことに割く時間をあえてとることが今、非常に大事だと思います。なぜかというと、私たちの時間意識は、世間的に大事なイベントの流れでできているのではなくて、その傍らにあるプライベートな不要不急の出来事、イベント、人間関係の総体でできあがっているからです。「内向きの不要不急の時間の流れ」を回復することによって、平常時の「リアルな現実感覚」に近づくことができると思います。新型コロナウイルスに関する情報も大事ですが、心の平穏を保つために、自分の身の回りの不要不急も大事にしていこう、というのが私からの提案です。』

 

 コロナによる自粛一辺倒の生活の中では、時間はコロナを中心として動いて行くし、世の中の誰もがその日の感染者数や死者数のニュースに一喜一憂している。

 しかし、本来時間というものは極めて個人的な出来事や人間関係等に大きく影響を受けるものだし、例えば楽しい時間と退屈な時間では、その速さの受け止め方も大きく異なるものとなる。

 斉藤氏が例として挙げていた「あえて時間のかかる料理をする」「家族とくだらないおしゃべりをする」等の行為は、こういった極めて個人的であるはずの、個々の時間を取り戻すことにつながるのかも知れない。

 

自粛期間中に、練習しているギターの名曲を!


夜霧のしのび逢いLa Playa (1964年)