とうとう自分が濃厚接触者になってしまった!
【経緯】
8月3日(水)~5日(金)の予定で、息子家族と一緒に軽井沢へ旅行に行く予定だったが、前日の2日になって下の孫(1歳6か月)が発熱。3日の朝ぎりぎりまで様子を見たが、改善のきざしが見られないため、やむなくお嫁さんと2番目の孫は自宅に残り、息子と上の孫(小学校1年生)と一緒に出かける事にした。
4日の夜になって、お嫁さんから連絡があり、(本人の)体調が悪いので医者で検査してもらったところ、コロナ陽性で、下の孫も「みなし陽性」との事だった。
5日、自宅へ帰る車の中で、今度は息子の体調が悪化。実は、昼頃からめまいがして、道をまっすぐ歩けない状況だったらしい。症状としては、頭痛・めまい・吐き気で熱は37.7度であった。通常なら病院に行くほどではない所だが、嫁さんと下の孫のことを考えると気になるので、自宅に戻ってから近くの医院に連絡したが、すでに夕方6時近かったこともあり、翌朝連絡して下さいと断られてしまった。しかしながら、コロナ感染の可能性が極めて高いことから救急車を要請。
事情を話して、せめて検査だけでもとお願いしたところ、市川市の救急車は全て出動中だが、とりあえず消防隊を派遣しますと言ってもらえた。結果、消防隊が到着したすぐ後に、救急隊が到着し、病院を探してくれた。救急隊員の話では、この時期なかなか受け入れ先が見つからず、70件も問い合わせした話とか、千葉市まで連れて行った話などを聞かされたが、ほどなく、市内の総合病院で診てくれる事になった。
この時も、何時間かかるか分からないので、お父さんは自宅で待機していて下さいと言われたのだが、実際には1時間半位で本人から連絡があり、やはり「コロナ陽性」という事で、自宅に帰ってくることができた。
聞くと、救急車は病院の前で待機して、救急車の中で検査と点滴をうってもらったそうである。いずれにしても、市川市の消防隊・救急隊そして総合病院の迅速な対応には大変感謝している。
【濃厚接触者の定義】
さて、ここからは自分たちの話しになるが、約3日間にわたって患者である息子と共に会話や食事をしたり、車に同乗したりしていた関係から、自分と家人と上の孫は「濃厚接触者」に該当することになる。濃厚接触者の場合、その待機期間は現在5日間だが、2日目及び3日目の抗原定性検査キット(自費検査)で陰性を確認した場合に、3日目から解除可能と言う事になっている。
【抗原検査キットについて】
抗原定性検査キットについては、各都道府県の場合年齢に応じて無料配布を行っているようだが、千葉県の場合40歳以上65歳未満にのみ配布ということらしい。仕方ないので、厚生労働省のWEBサイトで「医療用抗原検査キットの取扱薬局リスト」を調べ、自宅近くの薬局を探して購入することにした。
5~6カ所ほど問い合わせたところ、どこも品不足で欠品中だったが、7店目でようやく在庫を確認することができた。
今回、検査キットを探してみて分かった事だが、都道府県による無料配布は入手しにくかったり、年齢等の制限があるため確認が必要な事、ネット等で販売しているものは「研究用」のものであって、必ず「体外診断用医薬品」と書かれたものを使用する必要がある事等である。(今後ネットでの購入も認められていくようである。)
また、検査キットは商品によって、値段や若干の相違点があることも分かった。今回、自分が入手することのできた2社の検査キットについて、記載しておく。
名前 | 価格 | 検体の採取方法 | 判定時間 |
ラピッド抗原テスト | 1,400円 | 左右の鼻腔から採取 | 15~30分 |
チェックMR-COV19 | 2,000円 | 一方の鼻腔から採取 | 3~15分 |
【結果】
検査方法は、鼻腔の粘膜を綿棒のようなものでぬぐい取るというもので、思いの他、簡単であった。判定方法としては、上の写真のCとTに赤紫色のラインが認められた時が「陽性」、Cにしかラインが認められない時は「陰性」となる。幸いな事に、今回は3人とも「陰性」という事であり、ほっとしたところである。
以上、自分自身が濃厚接触者になったわけだが、知っているようで知らない事が多いという事が分かった。ネットで調べることは簡単だが、新旧の情報が入り混じっている事もあり、そのあたりを見極めていく事も大切である。また、仕事をしている者にとっては、周囲の方の理解や協力も必要になるし、前述したように救急隊や消防隊、また多くの医療関係者にも大変お世話になったと感じている。
<マイ ギャラリー>
<My FaVourite Songs>
Helen Shapiro 「You Don't Know」
日本語タイトルは「悲しき片思い」。この他に「Don't Treat Me Like A Child(子どもじゃないの」」「Walking Back To Happiness(夢見る恋)」などを1961年に発表。当時、日本では弘田三枝子がカバーして、日本でも高い人気があり、子どもの頃のテレビ等で聴いていた記憶がある。1963年には、当時デビューしたばかりのBeatlesを引き連れてツアーを行ったそうである。この動画にポールが映っていない理由は不明。
Helen Shapiro & The Beatles 「Look Who It Is」