行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

ギターを買いに(神保町~お茶の水駅)

   先日、久しぶりに神保町まで出かけてきた。目的はエレガットギター(ナイロン弦を使用したエレクトリックギター)を購入するため。ガットギターは、例えばボサノバ調の曲などに向いている事と、独特の柔らかい音を出す事ができる。バンドの方で取り上げる曲の中で、どうしてもガットギターの音が欲しいものが出てきた関係で、購入する事にしたという次第である。

  神保町に着いたのは午前11時過ぎ。少し早めの食事をと思って、昔よく来た蕎麦屋「静邨」へ。流石に昼には時間があったせいか、客は自分以外には1人だけであった。少し迷った後、結局天せいろを注文。ここの蕎麦は、田舎蕎麦で大変こしがあって、歯応えがある。 また、そばつゆは濃い目で、これがまた美味い。地方によっては薄味のつゆを出す店もあるが、どうも自分好みではない。

 少量のつゆをつけて、一気にすするそばの味は格別である。

天せいろ

 蕎麦屋を出て、いよいよ楽器店巡り開始。神保町からお茶の水駅に向かう坂道を、ガットギターを探しながら歩いて行った。

クロサワ楽器Dr.Sound(ネット写真より)

 最初に入ったのが、クロサワ楽器のDR,Soundという店で、このビルの3Fにクラシックギター専門のフロアがある。(ガットギターはクラシックギターのジャンルに入る)

 実は、ガットギターを購入するのは、初めてなのだが選ぶポイントとして、出来るだけネックの細いものにしたいと考えていた。(もちろん金額的な事もある)クラシックギターのネックは、平均で52mm位あるのだが、アコースティックギターの場合は42mm~45mm位で、アコギしか弾いた事のない自分のような者にとって。クラシックギターのネック幅は広すぎるのである。

 店員にその話をすると、48mmのギターを紹介してくれた。やはり、アコギをずっと弾いてきた者が、初めてクラシックギターを購入しようとする時は、自分のようにネック幅の狭いギターを選ぶ傾向があるそうだ。結構、自分のイメージに近いギターだったのだが、一応他の店ものぞいてみたかったので、店を後にした。

 その後、イシバシ楽器、下倉楽器などを覗いていったが、多くの店はエレキギターアコースティックギターが中心で、クラシックギターの扱いは少ない事、ましてやエレガットギターでネックの細いものとなると、なおさらである。最終的には、原宿のフェンダー旗艦店まで行ったが、お目当てのものが見つからず、結局、クロサワ楽器まで戻って、最初に見せてもらったギターを購入することにした。

Orpheus Valley Guitars Flamenco Blanca

  このギターはオルフェウス・バレイ・ギターズのフラメンコ・ブランカと言って、フラメンコ用のギターなのだそうだ。ネックは48mm。アコギしかやったことのない自分でも、さほど違和感なく演奏することができそうだ。製造はブルガリアのKremonaという老舗工房であり、このモデルはクロサワ楽器のカスタムモデルとの事。

 まだまだ、弾きこなすまでにはいかないが、あたらしい音色での演奏を楽しむ事ができそうだ。

神宮外苑いちょう並木

 今回は、神保町からお茶の水、そして原宿と回ったわけだが、少し足を延ばして神宮外苑イチョウ並木を見に行ってみた。原宿から表参道を抜けて、いちょう並木のある青山2丁目まで。久しぶりに歩く道のりは、とても懐かしかったが、平日なのに人の多さに驚いたりしてしまった。

さぼうる2

 余談だが、神保町のA7という出口から上に上がると、目の前にこの店が出てくる。平日の午前11時過ぎで、この状況にびっくり!

<MY Favorite Songs>

Vincent   Monalisa Twins Cover

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  以前も、このブログで紹介した「Vincent」を、バンドのメンバーに紹介したところ、特に女性メンバーがえらく気に入ってくれて、このMonalisa Twinsバージョンでカバーする事になった。この2人組は名前の通り、イギリスの双子姉妹でビートルズのカバーなども行っている。二人の息のあったハーモニーが、この美しい曲をさらに際立たせている。

 

鏡をみる

古い鏡 : Muntkidy

 いつもの事なのだが、職場に出向くと、更衣室で作業着に着替えることになっている。仕事で実験などを行う事から着替えるのだが、先日、いつものように着替えを済ませてから、トイレで自分の姿を鏡で見て笑ってしまった。

 朝の忙しい時間で着替えたせいか、襟が半分めくれあがっていたし、マスクが少し曲がっていて、なんとも間抜けな姿がそこにあった。なるほど、鏡の前で身づくろいする意味は、こういう所にあったかと思わず苦笑いしてしまった。

 そういえば、鏡の前で自分の姿をまじまじと見ることは、今はほとんどないかも知れない。若い頃は、それなりに髪の具合に気を使ったり、はやりのジーンズなどを履いたりしていたものだが、最近はいつも同じような服ばかり着ている。

 今さら、人目を気にする年でもないのだが、あまり気にしなさすぎるのもどうかなと考えてしまう。何より「一人よがり」になってしまうのだ。

 出かける前にそれなりに「髪の毛を整えたつもり」なのに、実は後ろ髪が跳ね上がっていたり、「さっそうと歩いているつもり」なのに、えらく年寄りくさい歩き方だったり・・・💦

 実はこういう事は、趣味のバンド活動でもよくある。例えば、自分ではノリノリで演奏しているつもりが、一人走っていたり(リズムが早くなること)、キーが上ずったりしてしまうのだ。この原因は、自分の声や演奏だけに夢中になりすぎて、他の者の出す音が聞こえていない事によることが多い。つまり、自分だけの世界に没頭してしまい、周囲と調和できていないのだ。

 ところで、外見や音のように視覚や聴覚でとらえられるものは、鏡やスマホのボイスメモなどによって、すぐにチェックすることができるが、自身の見方や考え方・感じ方等はどうだろう。「あー、それはね、〇〇だからなのさ」とか「悪いのは全て〇〇のせい」と簡単に決めつけてしまっていないだろうか? 年齢とともに、一面的な見方しかできなくなり、簡単に物事を判断しようとしていないだろうか?

 あまり優柔不断なのも困るが、ただの頑固おやじになってしまうのは困るし、高齢者に多いという妄想に振り回されるのは、もっと困る。

 ふと、そんな事を自問自答している。自分の外側だけでなく、内側を見る鏡はないものだろうか?

<マイ ギャラリー>

キイロスズメバチ

<My Favorite Songs>

 Donovan 「Catch the Wind」

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 自分が知っていたドノバンの曲と言えば、「Sunshine Superman」か「Mellow Yelow」(1968)位で、当時全米1位になったりしていたようだが、ビートルズや他のロックミュージックにおされ、これ以上の知識は持ち合わせていない。

 この「Catch the Wind」は1965年のデビューシングルで、実は偶然、別なミュージシャンのカバー曲として知り、良い曲だなあと思った次第である。

 当時は、イギリスのボブディランと称されたそうだが、確かにハーモニカとギター1本で歌う姿は、初期のボブディランに似ている。

 この曲の内容は甘いラブソングであるが、「Catch The Wind」とは、(風をつかまえるのは)とても難しいという意味で、「(彼女との)願いを叶えることはとても難しい」という意味なのだそうだ。近々、この曲を我がバンドでもやってみることにしており、生まれて初めてハーモニカにも挑戦しようかと考えている。

愛すべき日常

朝の軽井沢(2023 11.1)

  いつもという訳ではないが、何となく日々の生活に物足りなさを感じる時はないだろうか?仕方ないので、映画を観に行ったり、美味いものを食べに行ったりする。良い映画を観れば素直に感動するし、美味いものを食べれば食欲が満たされるのだが、しばらくすると、また物足りなさの虫がむくむくと頭をあげてくるような感である。

 もちろん、忙しくしている時に感じる事はないし、一仕事終わった後なども満足感があるせいか感じる事はないので、どうも暇な時に出てくる感覚らしい。

 これは、ひょっとしたら「満足できない症候群」なのではないかと、自分で勝手に考えている。(実際そういう症状はあるらしい)

 「いつも満ち足りていたい」「もっと楽しい事があるのではないか」という欲張りな思いに駆られて、現状に満足できない状態。

 望めば望むほど、そうではない事へのギャップは大きくなる。頭では分かっているのだが、より多くを望んでしまうのが、人間の性なのだろうか?

 次から次へとより良い方向へ変わっていく事を期待しているのだが、現実にはそんなに多くの変化があるはずもない。むしろ、毎日毎日ほとんど何も変わらない事の方が多いものだ。

 

朝起きて、顔を洗った時の爽快感

炊きたてのご飯のにおい

だれかからの「ありがとう」の言葉

美味いコーヒーの香り

はっとする言葉との出会い

お気に入りの音楽

沈みゆく秋の夕暮れ 

 日々の何気ない日常が、大河のようにゆったりと流れていくのを感じ取れたら、それはそれで、この上ない喜びにつながっていくのかも知れない。

 『小春日や 石を噛み居る 赤蜻蛉』

 先日、新聞のコラムに載っていた村上鬼城という人の俳句である。盛りの時期を過ぎた赤トンボは、今何を想うのだろうか。

<MY Favorite Songs>

The Beatles「Now And Then」

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 以前から話題になっていた、ビートルズ最後の楽曲「Now And Then」

 70年代にジョン・レノンがカセットテープに録音していた音源から、AIを活用してジョンの歌声だけを抽出し、そこにポール・マッカートニーリンゴ・スターが演奏を加えたものなのだそうだ。ジョンが暗殺されてからすでに40年以上が経ったわけだが、世界中のファンが待ちわびていた音源となった事だろう。

 個人的には、ビートルズとの出会いは中学生の頃であった。おそらく、初めて聞いた曲は「Can't Buy Me Love」か「I Wanna Hold Your Hand」あたりだったと思う。

 その頃、深夜放送をよく聴いていたが、自分の聴き方はビートルズの曲を聴くことが主な目的だったので、各チャンネルをしょっちゅう変えながら聴いていたものだ。おおむね、一晩で2~3曲は聴くことができた。

 今の自分の中にある音楽の原点と言っても良いと思う。

アコースティック音楽会 at 北本総合公園

 22日(日)埼玉県北本市の総合公園で行われたアコースティック音楽会に参加してきた。こちらに初めて参加したのは、ちょうど1年前で、今回が3回目となる。

 総合公園というだけあって、周囲には体育館や野球場があり、大きな広場や池もあって、休日には市民の方たちの憩いの場所になっているようだ。

きれいな湖畔の景色

掲示板には様々なイベントのチラシが

さて、今回のセトリは次の通り。

1.Hello Mary Lou

 1961年リッキー・ネルソンの曲として知られている、原曲はもう少し遡るらしい。大変のりの良い曲で、今回は最初のナンバーとして選んでみた。途中に入るギターソロは、ジェームズ・バートンという人のギターで、なかなかの名手である。

2.Ronesome Town

 1958年にリリースされた曲で、邦題は「寂しい町」。こちらも、リッキーネルソンの曲となる。ポールマッカートニーもこの曲をカバーしているが、実は亡くなった最初の奥さんであるリンダが好きだった曲なのだそうだ。

3.Tose Were The Days

Those Were The Days | 閑居小人の独白録 さん

  日本では、1968年にリリースされた「悲しき天使」で有名だが、元歌はロシア歌謡の「長い道を」からきている。この曲は、ポールマッカートニーが当時18歳だったメリーホプキンをプロデュースした最初の曲となる。エンディングにポールマッカートニーらしさがあらわれている。Riversとしては、初めて人前で演奏した。

4.The End Of The World

 1962年リリース、アメリカの女性歌手スキーターデイビスの曲。邦題は「この世の果てまで」。多くの歌手にカバーされて、スタンダードの名曲ともいえる曲である。

歌詞の中に「'cause  you don't love me any more」という言葉があるので、失恋の歌と思われる事が多いが、この曲の作詞をしたシルブビア・ディーは亡くなった父親の事を想って書いたそうである。

5.Bird Dog

The Everly Brothers – Wake Up, Little Susie / Bird Dog (Vinyl) - Discogs さん

 Bird Dog(狩猟犬)という奇妙なタイトルのこの曲は、1958年Everly Brothersによってリリースされ、当時ビルボードホット100で2位となった。ジョニーという名前の男の子に、自分のガールフレンドを取られそうになる様子を、Bird Dog(狩猟犬)にたとえて歌った曲である。今回の演奏では、ベースの佐藤さんが犬の被り物を被っている。

応援に来て下さった方々と

 Riversを結成する以前に、自分以外の2人のメンバーが一緒に活動していたバンドの方と奥様が、長野から応援にかけつけて下さった。自分自身もお会いするのは久しぶりである。こういう人のつながりはありがたいものだ。

 なお、今回の演奏もYoutubeにアップしているので興味のある方は聴いて下さい。

<マイ・ギャラリー>

キイロスズメバチ

<My Favorite Songs>

The Dave Clark Five 「Because」

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 Riversの方でもカバーさせてもらっている、この曲は1964年のリリース。それまでアップテンポの曲が多かったDave Clark Fiveだが、一転して美しいメロディラインとコーラスが心地よい曲である。Dave Clark Fiveの楽曲について知っていたのは、この曲くらいだったが、いまだに多くのファンがいるようである。

祈り

 祈り 画像 - Freepikで無料ダウンロード

 自分は宗教に関しては無神論者とまでは言わないが、決して熱心な信者ではない。育った家庭には仏壇があって、彼岸の頃になると線香をあげ、落雁などを供えていたりしたが、子どもにとっては彼岸明けに、その落雁が子供たちに降りてくるのが楽しみだった。実家の墓や菩提寺は九州で、遠く離れていたので、仏事や墓参りなどに親は出かけていたが、子供まで連れて行く事もなく、あまりそういう習慣に触れていないせいもあるかも知れない。

 それでも、新年になれば近所の神社に初詣に行くし、賽銭を上げて1年の無病息災を願ったりするから、神様からすれば、勝手な奴だと思われている事だろう。

 ただ、こういう慣習としての伝統行事とは別に、やむにやまれず「祈る」しかない時もある。それは、例えば試験の合格発表であったり、1日も早い病気の回復であったりする。つまり、自分の努力だけではどうにもならない事であったり、文字通り運を天に任せるしかない時だったりする。いわゆる、「困った時の神頼み」である。

 「祈る」事は決して結果を保証してはくれないが、それでも祈るしか術がない時は、何度も何度もすがろうとする。「祈る」という行為は、続ける事で「期待」から「確信」にまで高める事が出来るし、どうなるか分からないという不安を払拭し、心を安らかにしてくれたりする効果もあるようだ。

 「祈り」は宗教が生まれる前から人類が続けている営みなのだそうだが、その「祈り」には病気をいやしたり、心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが、多くの研究成果として解明されてきている。

 例えば、アメリカのある病院で、重い心臓病の患者約400人を、他の人から快癒の祈りを行ってもらったグループと行わなかったグループに分けたところ、祈りを行ってもらったグループの患者の方が人口呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少なかったそうである。(患者は祈りを受けている事を知らされていない。)

 また、祈りを行った方にも、脳の快感物質であるβエンドルフィンやドーパミン、愛情ホルモンであるオキシトシンなどの分泌が増え、脳の活性化や記憶力のアップ、ストレスの減少、幸福感の増加、免疫力の増加などが見られたという。

 実は、このような話は、他にも似たようなものがあるのだが、正直言って科学的に妥当かどうかは不明である。ただ、「祈りを行った」グループの結果については、興味深いものがある。

 「祈り」を習慣的に行っている人たちが、心配や恐怖、不安や強迫症などの不安障害を発症する割合が低いという話を聞いたことがある。自身のため、そして他者の幸福を願う行為が、結果として「感謝」の気持ちをもって、心おだやかに過ごす事ができるのかも知れない。

 

 さて、自身はどうかと言えば、「困った時の神頼み」は相変わらずである。とりあえず、今度神社に立ち寄った時には、自身と家族の健康と幸福を祈ってくることにしよう。

<My Favorite Songs>

アリス 「今はもうだれも」

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 以前にも、このブログで書いた記憶があるが、自分がはじめてアリスを知ったのは、確か深夜放送だったと思う。まだ、無名だった頃のアリスは、泥臭くてくせのある歌い方、それでいて歌唱力は抜群だった。「明日への賛歌」「愛の光」など、今聞いても、その力強い歌声は群を抜いていたが、最初のヒットらしいヒット曲が、この「今はもうだれも」であったと思う。元来「ウッディ・ウー」というバンドの持ち歌だったが、アリスがカバーした形になる。自分たちも、学生の頃、アリスの曲を何曲かカバーしていた時期がある。

 また、深夜放送では、谷村新司がパーソナリティをつとめていたセイヤング(文化放送)をよく聞いたものだ。特に、「天才・秀才・ばか」シリーズでは、深夜にもかかわらず涙を流して聞いていたものだ。「近所にいる面白いお兄さん」的な飾らない人柄が魅力だった。心からご冥福を祈りたい。

よく分からないこと

  

 毎日の生活の上で、目の前で起きている現象は分かるけれども、その理由や背景などがよく分からない事は結構あるものだ。例えば、最近の物価高。以前は、ロシアとウクライナの関係で、小麦粉を含む色々な物資が不足しているのだと思っていた。そのうち、ガソリンの値段が上がってきて、これはコロナウィルスによる影響が収まってきて、経済活動が回復してきたからだと言う。

 かたや円安の影響も大きいらしい。日本とアメリカの金利の違いから、円を売ってドルを買う人が多いのだそうだ。そのうち、この夏の異常な暑さから葉物野菜の値上がりも著しい。

 複数の要因が複雑に影響し合っているのかも知れないが、自分のように金融関係に疎いものにとっては、何が起きているのかを正確に理解する事は難しい。

電流と電子の向き

 同じような事は、科学の分野にも多い。例えば、中学生の頃だったか、電気の流れというものが、電子の流れであり、マイナスからプラスに移動するという事が、自分はなかなか理解出来なかった。しかも、電子の流れと電流の流れは逆であると言われても、どうしてもしっくりと来なかったのである。 (これは、はじめに電気の流れはプラスからマイナスであると学者たちが決めてしまった後に、電子の存在が発見されたことによる。)

 「物価」にしても「電子」にしても、共通するのは、どちらも「得体の知れない」「目に見えにくい」ものという事だろうか。人は、自分の五感を通して見たり、聞いたり、感じたことは、理解しやすいが、そうでないものは、「言葉」による概念として理解していく。(ただし、五感を通しても間違って判断してしまう事もあるし、「言葉」による概念は、人によって少しずつ「違い」がうまれてしまうのも事実である。)

 自分のような人間にとっては、概念の上に概念を重ねるような説明をされると、よく解らないだけでなく、不安にすらなってしまう。

 一般に科学に求められるのは、「実証性」「再現性」「客観性」と言われている。つまり、いつどこで誰でも実験・観察する事ができて、同じ結果が出て、なおかつ誰が見ても納得出来ることを、科学的に真実であるというそうだ。

 しかしながら、多くの一般市民は、身の回りのすべての事を実験検証する事など、到底出来ないので、結局、学校で習ったことや、テレビやネットなどの情報を鵜呑みにすることになるが、そのほとんどは「よく分からないこと」の積み重ねなのである。

 

 よく、「あー、それはね・・」と色々な事を語ってくれる人がいるけれども、「それは・・・らしいよ。」とか「聞いた話だけど・・」と言ってくれる人の方が、信頼できるような気がする。

<My Favorite Video>

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 Facebook等で時々こういうビデオに出会うことがある。思わずにんまりしてしまう事間違いない映像をどうぞ。

 

ベースの佐藤さん

東京都美術館

 Riversのベーシスト佐藤さんが、「白亜展」という一般公募の美術展で、入選されたということで、上野の東京都美術館に行ってきた。こちらは、上野の森の奥、上野動物園の脇にある瀟洒な美術館である。初めて訪問したが、その歴史は古く、1926年開館、日本初の公立美術館なのだそうだ。  国内外の名品を楽しめる企画展や美術団体による公募展等の展示を行なっているそうである。

優秀賞(クサカベ賞)受賞作品

 こちらが、今回の受賞作品で、モデルは佐藤さんが参加している地元のジャズバンドのメンバーの1人である。 手法は「点描画」で、モデルの全体像をトレースで写し取った後、愛用のペン1本で、ひたすら細かく点描していくそうだ。話によると、若い頃に少し描いていたものの、その後何年もの間中断していて、数年前から、再び描きはじめたという。

 佐藤さんの、その他の作品を一部紹介したい。

 

 「ヒマだから」とご本人は笑っていたが、現在ジャズバンド2つ、Riversとそれ以外のバンド2~3つ、同居しているお孫さんの世話(なんと、7人!)など、頭が下がる思いである。

 佐藤さんは、根っからの人好きで、例えばライブなどで「この人良い音出してる。」と思うと気軽に話しかけて、すぐにFacebook友達になってしまうという特技()を持っている。また、とにかく音楽が好きで、生活の中に音がないと耐えられないらしい。そんな佐藤さんを見ていると、ご自分の好きな事を、好きなだけ満喫しているように見える。もちろん、そうではない部分も沢山あるのだろうけれども、少なくとも人生を楽しみながら過ごしている姿は、羨ましいほどである。

 人生の先輩たちの後ろ姿は、後に続くものには、大いに参考になるものだ。

 

 美術館を出た後、地下鉄で浅草へ向かった。少し間が空いてしまったが、前回浅草食べ歩きで、行ってみたかった店の一つ「モンブラン」に行ってきた。こちらは、ハンバーグが有名でしかもリーズナブル!平日にもかかわらず、多くのお客さんでにぎわっていた。

ハンバーグメキシカン

店内には多くの著名人のサイン

<マイ ギャラリー>

街角の風景

<My Favorite Songs>

長渕剛「JEEP」

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 長渕剛について、多くの事を知っている訳ではないけれど、自分の人生の中に何回か、この人の歌に励まされたり、感情を揺さぶられたりした事があった。最初の記憶は「乾杯」である。一時、結婚式などでよく歌われていたらしいが、自分もある別れを経験した時に、この歌が忘れられない記憶がある。(多くは語るまい)

 2回目は、「MYSELF」。あることで悩んでいた頃に「だから、まっすぐ、まっすぐ、もっとまっすぐ生きて―」という歌詞に支えられたことがある。確かに、人を支え、勇気づけてくれる歌というものは、あるものだと思う。