行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

Rivers Live at 北本総合運動公園(埼玉県)

 23日(日)埼玉県北本総合公園にて野外ライブに参加してきた。こちらは、昨年10月に一度お世話になったことがあり、2度目の参加となる。ただ、以前と一つ変わったのは女性ボーカルが加わったことである。

 天候に恵まれさわやかな青空の下で、演奏させてもらうことができた。こちらは真夏と真冬以外は毎月開催されているそうで、かれこれ5年位前から40回以上の実績があるとの事。中心になっている方を含め、組織がしっかりしているようで、音響機器やPAなどのスタッフも充実していた。

演奏曲目

 今回、2は男声と女声ハも、3と4は女性のソロである。女性ボーカルが入った事で、選曲の幅が大いに広がった。年寄り3人のしわがれた歌声に、女性らしい表現が潤滑油のような役割を果たしてくれるのではと期待している。ちなみに、4のFields of St.Etiennneは以前このブログでも紹介したことがあるメリー・ホプキンの曲である。

 お客さんは、こんな感じでゆったりした時間が流れていた。13時~15時半までの演奏時間だったが、最後まで聞いて下さったお客さんも多かった。

演奏に使った楽器たち!

 中央は、先日購入した新しいギター。(フェンダー アコスタソニック)軽量なので持ち運びに便利であるとともに、アコギとエレキの2種類の音を出せるのが、なかなか良い感じである。最近はこちらのギターを使うことが多い。

 演奏後にサプライズがあって、我々の似顔絵を即興で描いてプレゼントして下さった方がいた。はじめての経験だったが、とてもありがたいことである。

 

 次のライブは、5月7日(日)。横浜伊勢佐木町のクロスストリートにて。

<My Favourite Songs>

Summer Wind Frank Sinatora


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 実は、この曲はつい最近Youtubeで見つけた曲で、詳しいことは何一つ知らない。ただ、年齢を重ねてくると、こういったスタンダードなジャズナンバーが妙に心地よく聞こえてくる。不思議なものだ。少しだけ、この曲について調べてみた。

 1965年ドイツでリリースされた曲で、のちに英語の歌詞がつけられてボビー・ビントンやペリー・コモらによって録音された。ただし、特に有名になったのがこのシナトラのバージョンなのだそうだ。夏の風と共に消えた恋を歌った抒情的な曲である。

サマー ウインド(和訳)

夏の風が
吹いてきた
海を通って。
風はいつまでも残る
君の髪の間に
そして僕の歩みとともに。
僕らは歌を歌い
あの黄金色の砂浜を散歩した。
二人の恋人と、それに
夏の風。

宴のあと

 あれほど多くの人たちにもてはやされ、その艶やかな姿を謳歌していた桜も、今は立ち止まる人も少なく、ひっそりと静まり返っているように見える。まるで、宴の後の一抹の寂しさすら感じさせるようだ。「桜」、特に「ソメイヨシノ」の美しさは、ほんのりとした淡い紅色で、山桜や寒桜とは違う独特な上品さが、貴婦人を想わせる。そして、その散り際の潔さが、また来年への期待を抱かせてくれる。

 あれほど、今を盛りに謳歌していた桜の、今の姿に目を向けてみる。

 そこには、新たな息吹の証でもある新緑の若葉たちが、太陽の光をいっぱいに受けて光合成を始めている姿があった。桜からすれば、花見をして喜んでいるのは人間だけで、そんなことにおかまいなしに、実はちゃっかり生命の営みを続けているのだ。

こんなことを何十年も何百年も続けてきたのだ!

 

 ところで、なぜ人間は、色あざやかな花を「美しい」と思うのだろう?

 ずいぶん前に「なぜ、人は夕焼けを見て美しいと思うのだろう」というテーマで勝手な事を書いたのだが、「美しい」と思う背景というか理由のようなものはあるのだろうか?

 花に色がついているのは、花粉を虫たちに運んでもらうためだというのは、昔学校で習った記憶がある。例えば、モンシロチョウは紫、黄、白い色の花が好きらしく、赤い花には集まりにくいらしい。つまり、色で花を選んでいるようなのだ。

 しかし、それは、言い換えれば、モンシロチョウに花粉を運んでほしい花は、大体紫、黄、白い色をしていると言っても良いのかも知れない。

 では、人間はどうなのだろう。縄文時代の人間にとってクリやドングリ、あるいは豆類などは貴重な食糧であったし、イネの栽培が始まるなど「農耕」が存在していた事は事実である。つまり、生活に欠かせない存在としての植物はあったと思うが、縄文人が「花を愛でたのか?」という質問に対する明確な回答はまだはっきりしていないらしい。しかしながら、イラクのシャニダールという洞窟で発見されたネアンデルタール人の遺体には、花束が供えられていたと考えられている事から、縄文時代に花を供えていた可能性は十分あるのだろう。

 「美しいもの」を美しいと感じる心は、時空を超えて、人類共通のものなのかも知れない。ただし、「美しさ」の基準は人によって大きく異なることも事実である。

 何に対して「美しい」「愛おしい」と思うかは様々だが、どうせならば、身の回りのたくさんの事に、美しさや愛おしさを感じられるようになりたいものだ。

 なぜなら、その瞬間はとても幸せな気持ちになれるから。

工場夕景・川崎』川崎(神奈川県)の旅行記・ブログ by 円蔵さん【フォートラベル】

 かつて、坂口安吾は『「やむべからざる実質」が求めた所の独自の形態が、美を産む。』と言っていたが・・・。(日本文化私観)

<My Favoutite Songs>


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 「かぐや姫」から「風」に進化した伊勢正三の3枚目のシングル。(1976年)

 「花びらが散った後の 桜がとても冷たくされるように」当時25歳の伊勢正三の紡いだ言葉は、今も自分の心に根付いている。

 

 

薄明(マジックアワー)

夕暮れ色?

 仕事帰りの夕刻、こんな夕景に出会うことがある。普段は、そんなにじっくり観察している訳ではないのだが、昔の人たちはどんな想いでこの景色を見ていたのだろう?

 元来「夕焼け」という単語は、比較的新しいもので、古代にはなかっと考えられているそうだが、それでも夕陽を歌った和歌や短歌は昔から多く残っている。

中大兄

『海神(わたつみ)の とよはたくもに 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ』

(海にたなびく雲に夕日がさしている。今夜は澄んだ月が見られるだろう)

寂蓮

『さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ』

(さびしさとは紅葉に感じるだけではなかったのだ。常緑樹の山の夕暮れよ)

藤原為家

『海に入る 難波の浦の 夕日こそ 西にさしける 光なりけれ』

(海に入る難波の浦の夕日こそ、西方(西方浄土)に射す光なのだ)

正岡子規

『夕日影 照り返したる 山陰の 桃の林に 煙立ちけり』

(夕日が照り映える山の陰の桃の林に煙が上がっている)

土屋文明

『西方に 狭ひらけて 夕あかし 吾が恋ふる人の 国の入日か』

(西に山がひらけて夕日があかい。恋しい人の住む土地に沈む夕日だろうか)

 多くは、風景描写であって、そこに流れる筆者の想いは、読む人が想像するしかないのだが、100年たっても1000年たっても、同じような景色をみて、それぞれが様々な想いにかられている姿がとても興味深い。

 

 ところで、「夕暮れ」を表す類語には、実にたくさんの表現があるものだ。

 「日暮れ」「夕刻」「夕映え」「夕景」「暮相(くれあい)」「逢魔が時(おうまがとき)」「彼は誰時(かわたれとき)」「薄明(マジックアワーの頃)」「トワイライト」「黄昏」「夕闇」等々。

 英語まで混ざってくるとさらに増えそうだが、この「薄明(マジックアワー)」という言葉に興味を持って、さらに調べてみた。

薄明(マジックアワー)

 この時間は、太陽が地平線の下にかくれて影がなくなるために見えるもので、太陽の高さによって「天文(てんもん)薄明」「航海(こうかい)薄明」「市民(しみん)薄明」の3つに分類されるそうだ。

Honda Kids 魔法のような色の空はなぜ見える



 日の出、日の入りともに「市民薄明」の時間が最も美しいらしく、写真を撮るならこの時間が一番のおすすめなのだそう。

 ちなみに、「なぜ夕日の色が赤く見えるのか」だが、太陽の光には多くの色が混ざっていて、空気の中の微粒子にあたって散乱する時に、波長の短い青い光ほど散乱しやすく、赤い光は散乱しにくいので、人間の目に届く時には赤い光が届くと言われている。このあたりのことは、科学館の実験内容にも関連してくる。(ニュートンの発見など)

ウェザーニュースより

 折しも、季節は春。満開の桜の中を、多くの人たちが行き交い、春爛漫の饗宴を楽しんでいる。小さな別れと出会いを繰り返しながら、季節は移り変わっていく。(ちなみに今日は、わが職場でもささやかな離任式があり、お世話になった方たちとのお別れの日となった。)

<My Fabourite Songs>

「Twilight Time」 The Platters


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  今回のブログのテーマに合わせてこの曲を。言わずと知れたアメリカのコーラスグループで、1955年の「オンリーユー」で知られる。この「トワイライトタイム」は1958年リリース。オリジナルメンバーは既に脱退したり、亡くなったりしているが、現在はこのメンバーでThe Plattersとして活動しているそうだ。

 Plattersは、子どもの頃、夏休みに親戚の家に遊びに行った時に、お兄さんたちがレコードで聴かせてくれた記憶がある。まだ、音楽の良し悪しなど到底分からなかったが、すごく大人の曲という印象があったし、今聞いても古き良き時代の音楽という気がする。良い音楽とは、時間も空間も乗り越えて人の心の中に残り続けていく。



 

 

年度末、お疲れさまの旅(伊豆~横浜)

 季節はめぐり、令和4年度最後の月を迎え、年度末お疲れ様の旅に出かけてきた。とは言え、近郊の伊豆~横浜への2泊3日の旅である。

 3月6日(月)朝はのんびりと9時頃出発。とりあえず熱海を目指す。平日ということもあって道路は、大した混雑もなく、昼前に到着することができた。熱海と言えば早咲きの「あたみ桜」が有名だが、残念ながらすでに見ごろを過ぎているようで、かわりに大寒桜(オオカンザクラ)という桜が満開だった。 

大寒桜(オオカンザクラ)

 ちょうど昼時になったので「旬彩柾家(まさや)」へ。こちらはカウンターが4~5席と小上がりだけの小さな店だが、最近は熱海に来るといつも立ち寄らせてもらっている。今回は、かますの焼き物と刺身の定食。白身魚の上品な味わいと絶妙な塩加減が、とても美味い。

 熱海は、最近若い観光客が増えていて、人気の店の前では結構な行列ができていたりするのだが、自分たちは地元に古くからある「石舟庵」(和菓子)や「常盤木」(羊羹)等に立ち寄った後、伊豆伊東市にある一碧湖のリゾート施設に向かう。

 こちらも、毎年冬から春先にかけて、よく利用させてもらっており、別荘感覚で過ごすことのできる施設。建物は決して新しくはないが、3LDKと部屋数が多く、温泉もあって気に入っている。

 一碧湖は「伊豆の瞳」と呼ばれる美しい湖で、伊豆半島最大の湖でもある。湖畔の散歩やボート、釣り遊びなどを楽しむことができる。

夕暮れ時の一碧湖

3月7日’(火)旅行2日目。朝食をすませた後、久しぶりに下田に向かう。

ペリーロード

 定番のペリーロードから了仙寺でお参りした後、お目当ての金目鯛が食べられる店という事で、事前リサーチしておいた「海鮮やまや」を目指したが、何と本日休業日!

 やむなく、以前伺ったことのある「おか田」に向かう。ところが、平日の12時前だというのに、既に満席。どうも、台湾あたりの団体客の予約が入っていたらしい。それでも20分ほどで席に着くことができた。注文は、当然金目鯛の定食。以前は結構甘めの味付けだったが、少し控えめになったように感じたが、やはり地元で食べる金目の煮つけは美味い!

金目鯛の定食

3月8日(水)旅行3日目。

 朝食後は一碧湖の周辺をぶらぶらと散策。まだまだ冬景色で、朝の空気は肌寒いが、暖かな日差しや今にも開きそうな冬芽に、春の気配が感じられる。鳥の声以外は、ほとんど音のない静かな湖畔を歩いていると、開放されている自分に気づいたりする。

一碧湖周辺

コブシの冬芽

 9時半頃、チェックアウト。途中、昼食をとりながら一気に横浜へ向かう。ホテルに入る前に、以前から気になっていた「馬車道十番館」へ立ち寄る。

馬車道十番館

 こちらは、昭和42年創業。カツレツで有名な勝烈庵の十番目の店として建設されたそうだが、その後独立し現在に至っている。昭和の香りが色濃く残る喫茶・レストラン・バーを併設しており、焼き菓子の「ビスカウト」や「マドレーヌ」が有名。今回は、「十番館プディングロワイヤル」を頂くことにした。

十番館プディングロワイヤル

 なんとなく懐かしい感じのプリンで、四角い形は赤レンガをイメージしているそうだ。

 ホテルには3時半頃チェックイン。部屋で少しのんびりした後、マリンタワーへ。こちらは昨年9月にリニューアルしていて、こちらも気になっていたので4Fのレストランで食事をした後、展望階まで上がってみた。

デザートにはHappy Birthday

 レストランには、最初他のお客がおらず、貸し切り状態でびっくり!今月が、自分の誕生月だったので、デザートには「Happy Birthday」の文字を入れたサービスがあった。静かで感じの良いレストランだった。

 食後は、一度1階に降りて、あらためて29階~30階の展望フロアへ。今回のリニューアルでは、展望フロアも大きく変わったそうで、山下公園からみなとみらいの方までの夜景が楽しめる以外に、「メディアアートギャラリー」と言って、光と映像の作品と夜景を同時に楽しむことが出来た。

 横浜は、ここのところ大規模な開発が進み、大きく変貌してきている。他の都市との違いを感じるのは、何もかも新しくしてしまうのではなく、古くからある良いものを生かしながら開発を進めている点である。また、特に「みなとみらい」地区は、街全体が大きなストーリーをもっていて、街全体に統一したデザインが施されている事もあげられる。特に、夜景の美しさは大変素晴らしい。

帆船日本丸

 今回は、豊かな自然や古くからの伝統や歴史を感じる旅行であった。そして、様々なしがらみから解放される感覚を味わうことのできた旅行であった。

<マイ ギャラリー>

横浜インターコンチネンタルホテル

<My Favorite Songs>

Bee Gees 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」1967


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 自分が初めてBeeGeesというバンドを知ったのが、確かこの曲だったなあと思っていたら、実はこの曲が彼らがワールドデビューした曲なのだそうだ。元々、オーストラリアでかなり人気のあったグループだったが、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインに着目され、世界デビューにいたることになる。

 その後、「ラブサムバディ」「ホリデイ」「マサチューセッツ」「ワーズ」「ワールド」「若葉の頃」などの世界的なヒットを発表していく事になる。

 初期のBeeGeesは美しい旋律とハーモニーで、どこかビートルズの影響を受けているようにも感じる。

 

 

 

線香花火

 先日、浅草橋まで線香花火を買いに出かけた。科学館の演示実験の中に「炎色反応」という実験があって、昔の花火の代表格として、この線香花火を実際に点火して、その炎の色を確認してもらうという場面があるのだが、ストックが底をついてしまい、注文を待っていると間に合わないため、急きょ買い出しにでかけた訳である。

 ちなみに、江戸時代までの花火の色は、オレンジ色でこれは黒色火薬の色である。現代のように多様な色合いを作ることができるようになったのは、明治以降で外国から薬剤や金属の粉を輸入し、花火に利用することが可能になったからである。

伝統の手筒花火

現代の花火

 JRの浅草橋駅で降りて、浅草方面に向かって歩いていくと、花火問屋が何軒か並んでいる。今回は一番駅から近かった長谷川商店という店を探してみた。浅草橋駅からは10分程度ですぐに見つかったのだが、店の中を覗くとおひな様だの5月人形だのばかりが並んでいて、とても花火を扱っているようには見えない!店の前で、スマホの情報と実際の店の中を見比べながら、オタオタしていると、中から店の人が出てきてくれたので、聞いてみると、どうも花火は店の横に別の店舗があってそちらで扱っているとの事。(花火は季節ものなので、この時期は人形をメインに扱っているらしい)

店内写真(ネット借用)

 今回は、国産の線香花火と「すぼ手」という西日本を中心とした花火を購入した。

すぼ手牡丹

 「線香花火」の由来は、元来香炉にさして楽しむものだったらしく、それが線香に似ていることからきたらしい。特に、西日本で主流だった「すぼ手」という花火が関東に入ってきた時に、「わら」から「紙」で巻くものが考案され、現在に至っているそうだ。下の絵の中でも、香炉に花火をさして楽しんでいる様子が伺える。

西川祐信作「絵本十寸鏡」(1748年)より

 花火を購入した後は、ぶらぶらと散歩しながら浅草に向かう。この通りには、昔ながらのおもちゃ屋や本屋など昭和の面影を残す商店が点在していて、なかなか面白い。今回は、午後から出かけたので時間がなかったが、次回はゆっくりと散策して、第2回浅草食べ歩きも再開したいと思う。

懐かしい雰囲気のおもちゃ屋

花火店のウインドウには尺玉が!

かなり傾いている本屋

<マイ ギャラリー>

江ノ電

<My Favourite Songs>

夕日は赤く 加山雄三


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 中学1年生か2年生の頃、友だちから買った安物のギター(確か500円位だったように思う。)で初めて弾いた曲。イントロのコードがEmで簡単だったことから始めたが、「心に秘めた恋~」のところがF#で、なかなか音が出ず苦労したことを覚えている。あの頃は、家に帰ると勉強もせずに2~3時間ギターを弾いていた。ギターが上手に弾けるようになりたいというよりは、下手ながらも自分がその世界に溶け込んでいくような感覚を楽しんでいたのだと思う。

The Rolling Stones  Satisfaction


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  中学3年生で初めて、友人に誘われたバンドで演奏していた曲の一つ。当時、グループサウンズが全盛期を迎えていた頃に、なぜか洋楽をやっていた。多分、誘ってくれた友人の好みだったのだと思う。あの頃は、「エレキギター=不良」というイメージがあったのだが、むきだしのエレキギターをかついで、練習場所まで自転車で出かけていた。練習場所は、環八沿いの工事現場みたいな所だったり、布団屋をやっている友人の家のふとん倉庫などでやっていた。(天然の防音室!)

 

 ところで、先日「今 欲しいもの」で書いたギター、買ってしまいました(^^♪

 このギターについてのコメントはいずれ紹介します。

Fender Acourstasonic Player

 

今、欲しいもの!

ACOUSTASONIC PLAYER TELECASTER

 先日、2か月に1度開催される荻窪の「Cafe & Hall with 遊」でのオープンマイクに

参加した際、フルートとエレキギターという組み合わせで2人組の50代位の男性がジャズ風のMoon Riverなどを演奏していた。特に、目を引いたのが上の写真のギターである。(実際に演奏に使っていたのは、American Telecasterだと思われる。)

 見た目も音も明らかにエレキギターなのだが、エレキギターにしてはボディに円形のサウンドホールが空いている。これは、明らかにアコースティックギターの特徴なのである。

 演奏後、ご本人に聞いてみたところ、これはフェンダーの「アコスタソニック」というギターで、アコギとエレキの両方の音が出せるのだという。

 ネットで調べてみると、ボディのサイズ、形状、ネックなどはエレキギターのようだが、ピックアップはエレキギター用のものとアコースティックギター用の両方を備えており、スイッチで切り替える事ができるらしい。ただし、弦はアコースティックのものを使用しているので、純然たるエレキギターとは異なるが、イフェクターなどを活用すれば、かなりエレキギターのようなハードな音も期待できる。

 実は、演奏する曲によって、繊細なアコースティックな音とエレキギター的な音を要求される事があるのだが、ギター1台でできるのであれば、これにこした事はない。

 

 久しぶりに欲しくなったギターである。以前は、安物から多少値のはるものを含めて5台ほど持っていたのだが、全て整理して今はYAMAHAの1本だけになっている。決して高価なものではないが、それなりに良い音で鳴ってくれるので気に入っているのだが、エレキギターやエレガットなど、もう少し多様な音が出せるギターが欲しいというのが本音でもある。

 この年になると、あまり物欲というのは少なくなってきているが、久しぶりに「欲しい」と思った逸品である。

 ただし、楽器は実際に手に持って、弾いてみないとその良さは分からないし、あわてて購入して失敗というのもよくあるので、しばらくは楽器店めぐりなどして、音を確かめていこうかと思っている。


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館山北条海岸

<My Fabourite Songs>

Nana Mouskouri 「Plaisir D'amour」


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  偶然見つけたこの曲。どこかで聞いた事のある曲だと思っていたら、プレスリーのC'ant Help Falling In Loveの原曲なのだそうだ。

 「愛の喜びPlaisir D'amour」という邦題のついたこの曲は、ドイツで生まれフランスで活動した作曲家ジャン・ポール・マルティーニが曲を付けた楽曲で、なんと1775年に作られたものだそうだ。シャンソンの古典となっている曲だが、多くの歌手によっても歌われており、このナナ・ムスクーリの歌もその一つ。

Elvis Presley 「Can't Help Fallin in Love」(From "Blue Hawaii")


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湯西川温泉かまくら祭り

東武浅草駅

 

 

  昨年7月石和温泉への旅から約半年、今回の男3人旅は湯西川温泉に出かける事になった。コロナのためずっと開催できなかった「かまくら祭り」が3年ぶりに再開するというので、それを見に行くのが一番の目的である。

 1月27日(金)朝、8時15分京成電車市川真間駅に集合。浅草を9時30分発、会津田島行き特急リバティで湯西川温泉に向かう。

 

 朝食は軽く済ませていたが、駅の売店でヨシカミのロースかつサンドを発見!

 これは買うしかないという事で、早速列車の中で頂くことにした。景色を見ながらのロースかつの味は格別で、こういうことが列車の旅の楽しみの一つでもある。(ちなみに、今は車内販売はしていないそうだ。)

まるご鬼怒川 東武フリーパスと特急券

 今回は「青春18きっぷ」ではなく、「まるごと鬼怒川フリーパス」という周遊券を購入した。これは、浅草から下今市までの往復乗車券と、下今市から湯西川温泉までの電車やバスが自由に乗り降りできる周遊券である。

一面の雪景色

 先日の寒波の影響なのか、鬼怒川が近づいてきたあたりから徐々に雪景色が見られるようになってきた。

 11時57分、湯西川温泉駅に到着。ここまで来ると、すでに周りは一面の銀世界である。ここから、バスで湯西川温泉に向かう。ちょうど昼時でもあり、まだ時間に余裕があったので「湯西川水の郷」で途中下車。ここは、言わば道の駅のような施設で、簡単なレストランと売店、立ち寄り温泉施設などがある。

湯西川水の郷

 人は少なく、時折立ち寄り温泉に来た客が、ちらほらと見かける程度だった。次のバスを待つ間に、昼食をとったり足湯につかったりして時間を過ごす。風はほおをさす程冷たいが、足先が温まってくると寒さを感じなくなってくる。

 さあ、ようやくバスが来たというところでハプニングが!バスが満席のため次のバスにしてほしいと言われたのだ。次のバスが来るのは2時間後💦仕方なく、湯西川温泉まで残り約3km、約30分の道のりを歩いて向かうことにした。

 やっとの思いで3時過ぎに宿に到着。夕食までの時間は温泉を楽しんだり、近隣を散策したりして過ごす。祭りは夕方5時半からなので、夕食を早めにしてもらって、夜7時頃旅館の車で会場まで送ってもらった。 

 この祭りは1994年から始まったもので、客足が落ちる原因となっていた雪を活かして、旅館組合や商店街が始めた祭りなのだそうだ。当初は大きなかまくらを作って目玉としていたが、2001年頃からミニかまくらをたくさん作って、その中にろうそくを点灯するようになったという。「平家の里」をメイン会場にして、河川敷等数カ所で実施している。

 予想以上の幻想的な美しさに、時の経つのを忘れる程であった!なお、見学中にNHK栃木放送の取材を受け、それがその日の夜のニュースで流れるというハプニングもあった。

早朝の「平家の里」

 28日(土)9時にチェックアウト。鬼怒川駅行のバスの始発が、平家の里から出るため、そこまで宿のおかみさんが車で送ってくれた。昨夜からの雪は、今朝も降り続いていた。9時半のバスに乗り込み鬼怒川駅に戻り、とりあえずおみやげを購入。

 今回も全国旅行支援を利用しているので、2,000円分のクーポン券で購入する事ができた。その後、駅の周辺を散策。徒歩で30分程のところに大吊橋があるというので、その見学にぶらぶらと出かけた。

鬼怒盾岩大吊橋

 このつり橋は、鬼怒川温泉街と名勝「盾岩」を結ぶ全長140mのつり橋で、高さは37mあるそうだ。前方を見ている分には問題ないが、上から覗きこむとさすがに足がすくむほどだ。橋を渡った先には「盾岩展望台」や手掘りのトンネル、盾岩鬼姫神社などがあるそうだが、今回は時間がないため引き返すことにした。

 昼食を済ませて、13時20分の東武鬼怒川線下今市へ。ここで約20分ほど特急列車を待って、一路浅草へ。待ち時間の間に蒸気機関車を見ることができた。この列車は「大樹(たいじゅ)」という名前で、この下今市鬼怒川温泉間を走る観光用の蒸気機関である。駅構内にはSL展示館や転車台広場などがあって、たくさんの観光客が写真を撮っていた。

駅から見えた山々(左は男体山

 たった1泊2日の旅であったが、今回も多くの予想外の出来事があって、大いに楽しむことができた。それは、決して良い事ばかりではないが、偶然がもたらす出会いというものは実に愉快で、これは車の旅ではなかなか経験できないのではないかと思う。

 男3人旅、次回は夏ごろになりそうだ。

<マイ ギャラリー>

越谷市レイクタウン

<My Favourite Songs>

The Seekers 「The Carnival Is Over」


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 シーカーズと言えば「ジョージ―ガール」(1967年)ぐらいしか知らないのだが、元々はオーストラリアで結成されたコーラスグループで、その後イギリスに渡って成功を収めた。この曲は、デビュー当時の曲なのだそうだが、妙に心に響いてくるので、今回取り上げることにした。1965年イギリス・オーストラリア等のチャートで1位を獲得した。

 さらに、調べて行くと原曲はロシア民謡「ステンカ・ラージン」という曲だという事も知った。ステンカ・ラージンはロシアの農民運動の指導者で国民的英雄である。


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