行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

心動いた時に、自分の言葉で!

 

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 ブログの更新が遅れ気味である。

 書くことがなかったわけではないが、書く気にならないというか、ここに載せるほどの事が思い浮かばなかったと言うのが、正直なところである。思えば、このブログを始めて約10ヶ月になる。どんな事を書くかは、別に決まりは設けていないので、ふと思った事や感じた事、あるいはある日の出来事など、何でも良い。書く事でその日の自分を刻んでいくという行為を、大事にしたかったわけだ。

 それでも、文が書けなかったのは、自身の言葉というものを忘れていたような気がする。

 毎週のようにブログを更新していると、書かなければいけないというような、差し迫った感覚にとらわれてくる。そうすると、何かないかとネタ探しのような状態に追い込まれていく。そして、それがさらに進むと、書こうとするネタが先行して、ネタに合わせて文を書き始めるという本末転倒な状態に陥ってくる。

 確かに、そういう書き方もあるので、否定はしないが、心の中に何も思い浮かんでいない状態で書き始めるのはとても苦しくて、どこかで観念的な文章になりやすい。

 それはきっと、頭の中で文を作ろうとしているからなのだろうし、どこか空々しい文章になってしまう。どこかで自分の心が動いていないと、文章を書くのは難しい。

 

 実は、昨日音楽仲間とLINEで話をしていたが、その中でボトルディギングの話が出た。ボトルディギングとは、昭和初期〜大正・明治期等の古いガラス製の空き瓶を拾い集めて、それをクリーニングして眺めて楽しむという、ややマニアックな趣味の事らしいのだが、音楽にも同じような事が言えるのではないかと言うのである。

 ほとんど忘れら去られたような昔の曲の中から、隠れた名曲を発見していくのが楽しいという話だ。友人が言うにはミュージックディギングというのがあっても良いのではないかという。

 これは、とても興味深い話で、実は自分もYouTubeを渡り歩きながら、お気に入りの曲を探すのが好きで、結構以前から行っていた。学生の頃にはやった曲を聞き集めるのも楽しいのだが、初めて聞く曲の中にも結構名曲が埋もれいて、それを発掘(?)した時の喜びは、まさしくボトルディギング(Bottle Digging=ビン掘り)と同じ感激を味わう事が出来る。以前、このブログでメリーホプキンの「サン・エティエンヌの草原」を紹介したが、この曲もこのようにして偶然見つけたものだ。

 恐らく似たような事をしている人は結構いると思うが、まさかこういう楽しみを同じように感じている人がいるという事に、何か新しい価値観を見つけたような軽い興奮を覚えた。

 よし、今日はこの事をブログに書こうと決めた次第である。

 

 今日は、日本のフォークソング好きな友達が見つけた約40年近くも前の曲を紹介します。


六月の雨/究極(1980年)