行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

青春18切符の旅〜(日帰りで鎌倉旅)〜

 9月1日(日)から2日(月)にかけて、6回目の旅となる「青春18切符の旅」で東海道線の旅に出かける予定だったが、台風10号の影響でやむなくキャンセルすることになった。宿泊予定だった焼津のホテルはなんとか無料でキャンセルできたが、切符の方はすでに購入済みだったので、急遽2日(月)に日帰りで「鎌倉」に行くことになった。

 2日(月)朝9時30分、市川駅に集合。JR総武線快速に乗り込み「いざ鎌倉へ」。もう少し早い時間だと通勤客で混み合うのだが、これ位の時間だと比較的空いていて、程なく座ることができた。11時頃には北鎌倉駅に到着する。

 鎌倉に来るのは何年ぶりだろうか。少なくとも5〜6年は経っているかも知れない。台風明けの強い日差しを感じながら、とりあえず紫陽花寺として有名な「明月院」に向かう。

 紫陽花の頃には多くの観光客で賑わったのだろうが、この季節に訪れる人は少ない。若いカップルが数組と外国人の観光客がちらほらという程度である。表通りから細い路地に入り、敷地内に足を踏み入れると、そこには木陰のひっそりとした空気と蝉たちの大合唱が迎えてくれた。

 すでに盛りを終えた紫陽花や趣のある石仏等を見ながら、手入れの行き届いた道を歩いていくと、本堂まではすぐに辿り着く事ができる。

 本堂では、奥の庭園を眺めることが出来る丸窓がある。この窓は「悟りの窓」というそうで、円は何にも捉われないありのままの自然を表しているとのこと。禅寺寺院で見られる建築形式なのだそうだ。この後、本堂の後庭園を散策して、表通りに戻った。

 明月院を出た後、建長寺の手前にある和菓子のお店「歌仙」へ。こちらは、以前北鎌倉にくると必ずと言って良い程訪れていたお店だ。特に、どら焼きが有名だが、今日は暑いので「冷やしぜんざい」を頂いた。まだ、昼食前だったが、たっぷり入った冷たい小豆は、甘さ控えめであっという間に完食してしまった。

 北鎌倉周辺にはこういった和菓子やおしゃれなレストランが点在するが、昔に比べてひっそりとした印象がある。コロナの影響なのか、店を閉めてしまった所が多いのかも知れない。

 建長寺を過ぎたあたりから下り坂を降りていくと、鶴岡八幡宮の脇に出てくる。大型バスの駐車場の横を通り、参道へ。昼食場所を探す。 

 結局、昼食は小町通りで「生しらす丼」を頂く。生しらすは海が荒れたりすると入荷しないと聞いていたが、幸いありつくことが出来た。自分は「生しらす釜揚げしらす丼」を、他の二人は「生しらす&いくら丼」を選択。この日は暑かった事もあり、つるっとした食感と適度な塩味で一気に食べてしまった。(写真を撮る前に2〜3口食べてしまった💦)

 ビールも飲みたかったが、午後の動きを考えて、泣く泣く我慢した。

 食後は「海が見たい」という友人の声を受けて、江ノ電長谷駅まで出る事にした。稲村ヶ崎を含む全長約3kmの由比ヶ浜は、台風のせいか白波が立っていたが、多くの若者たちがウインドサーフィンに興じていた。ここに「爺さん3人」では絵にならないなあと思いながら、しばらく心地よい海風にあたった後、徒歩で鎌倉駅まで戻る事にしたのだが、実はこれが失敗だった💦

 普段の日なら、30〜40分程度のちょうど良い散歩道なのだが、暑さ厳しい炎天下で、体力の消耗が激しく、駅近くまで戻った時には、全員バテバテになってしまった。

 やっとの思いで御成通りまで戻り、レトロな喫茶店でかき氷を注文する事にした。暑さで体温が上がってしまった時は、かき氷に限る。ところで、最近のかき氷は明らかに昔のそれとは異なる事に気づいた。最近のものは食感が柔らかく、以前のようなシャリシャリさがない!ふわっとした舌感触で、これはこれでとても美味しかった。

 うーむ、かき氷も進化しているのだ。

 

 今回の旅はここまでである。日帰りという事もあるが、真夏の旅の場合は暑さを考慮しないと、動ける範囲が限定されてしまう。しかしながら、古い友人たちとの凸凹旅は、毎回アクシデントがあったり、予想外の嬉しいことがあったりで楽しいものである。帰りの電車では、疲れのため、市川駅近くまで爆睡してしまった。

 次回は、秋から初冬にかけて、紅葉か雪見で温泉などと確認して、3人の爺さんたちは別れて行った。次回も3人元気に会えることを念じたい。

<My Favorite Songs>

日野てる子

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 先日、車の中で聴いていたNHKのラジオ番組で「夏の終わりに聞きたい歌」特集なるものをやっていて、この曲が流れてきた。当時、特別なファンではなかったが、聞き覚えのあるメロディと艶のある歌声の記憶は、鮮明に残っている。

 この曲がヒットしたのは1965年というから、自分は小学校の高学年であった。元来ハワイアン歌手としてデビューしたが、ハワイアンとは趣の異なるこの曲が100万枚を超える大ヒットとなったため、彼女の代表作になった。

 ちなみに、「ワンレイニーナイトイン東京」のB面として予定されていたが、ヒットによりA面にさしかえられたそうである。

  今回は西田佐知子バージョンで。

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