行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

青春18切符の旅~常磐線~

 4月5日(金)から6日(土)にかけて、5回目の旅となる「青春18切符の旅」に出かけてきた。本当は1月下旬に雪見旅と称して、奥日光を予定していたのだが、メンバーのご家族にご不幸があり、ここまで延期したという次第である。

 今回の目的地はいわき湯本温泉(福島県)。常磐線の旅である。

  5日朝8:49上野発勝田行きの快速に乗り込む。「青春18切符」は、ご存じの通りJRの快速・普通列車等が1日乗り放題になる切符で、年齢は関係がない。その列車が0時を過ぎて最初に停車する駅まで利用する事ができる。

 今回は、水戸で途中下車する事にした。

 水戸駅では定番の水戸黄門御一行様が、お出迎え。取り敢えず水戸城大手門に向かう。途中、水戸三の丸小学校という学校があるのだが、その立派な校門にビックリ‼️

 大手門、二の丸角楼(かくろう)などを見学させてもらって分かってきたのは、現在水戸市ではかつての水戸城の復元を目指しているそうだ。

水戸城大手門(令和2年2月復元)

 途中、二の丸展示館という小さな資料館があって、かつてはここで「大日本史」編纂にかかる業務が行われていたそうだ。その他、弘道館偕楽園などの教育遺産に関する情報発信や水戸城に関する展示が行われている。

大日本史の模写と水戸城主郭周辺地図

この後、近くで昼食を済ませてから、千波湖のほとりを歩いて偕楽園に向かう。

千波湖

 千波湖那珂川水系に属する淡水湖で、いわゆる堰止湖(せきとめこ)である。現在のような姿になったのは大正末期から昭和前期だそうだが、かっては水戸城の天然の外堀としての役割を果たしていたらしい。湖岸沿いの桜並木が、市民の方たちの憩いの場になっている。

好文亭

 偕楽園は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公によって造られた日本庭園であり、日本三名園にの一つに数えられている。園内には、約3000本の梅が植えられているそうだが、さすがに4月のこの時期では、花はほとんど見られなかったので、好文亭に向かう。「好文」とは梅の異名で、斉昭公が家臣や客人を招いた場所だそうで、先ほど歩いてきた千波湖を遠く見わたすことができる。

 初日はここまでで時間になってしまったので、水戸駅までタクシーで戻り、15:12いわき行列車に乗り込み、16:29湯本駅で下車。

湯本駅

 湯本温泉は1600年以上の歴史を持ち、有馬温泉道後温泉とならんで日本三大古泉に選ばれている。泉質は硫黄泉で「美人の湯」として愛されているそうだ。自分たちがお世話になったのは「古滝屋」という1695年創業の老舗旅館である。外観は決して新しくはないが、内部はリフォームがされており、所々に生け花が飾られていて、宿泊客を出迎えてくれた。

 こちらの旅館は、1泊朝食付きで10,000円と格安なのだが、一人3,000円分のクーポン券がもらえて、このクーポン券は館内にある料理屋で使う事が出来るというもの。これを利用しない手はないという事で、ひと風呂浴びた後に3人でお世話になる。ただ。この日は、メンバーの一人が体調不良でビール1杯だけ飲んで、部屋に戻ってしまったので、3人分のクーポンを実質2人で使わせてもらった。おかげで、実際に支払ったのは、オーバー分の380円だけだった。

写真を撮り忘れたため、唯一の写真

 4月6日(土)10:54湯本駅を出て、日立駅に向かう。日立駅は「海の見える駅」として有名で、特に早朝に見える景色は格別のものらしい。

海の見える駅(日立駅)ネット借用

 ここには喫茶店が併設されているのだが、着いたのが昼前であり、多くの人で込み合っていたので断念せざるを得なかった💦

 ところで、日立駅を降りると多くの人が一定方向に歩いていくので、JRの方に聞いてみたところ、「今日明日は、さくらまつりが開催されます。」とのこと。せっかくなので、自分たちも、その方向について歩いて行くことにした。

 駅前には平和通りという大きな通りがあるのだが、約1キロにわたって桜のトンネルになっており、そこが全て歩行者天国になっていた。

 道路の両脇には、たくさんの屋台が並んでいるのだが、いよいよ奥の方まで近づくと、何やら大きな山車が見えてきた。

 いただいた資料によると、これは操り人形を乗せたカラクリ仕掛けの山車で、大きさは高さ約15M、横幅約3~8M、重さは約15トンもあるそうだ。中には、何体ものカラクリ人形が刀を振ったり、弓矢を放ったりして動いている。(この矢は実際に放たれて、見物客の方まで飛んできたのでビックリ!)

 江戸中期が起源とされ、ユネスコ無形文化遺産にもなっているそうだ。

youtu.be

  こんなに壮大なカラクリの山車を見るのは初めてだったので、大いに感動した!

 

 今回の旅も、水戸、湯本温泉、日立の3つの街に立ち寄ったわけだが、それぞれに興味深いことが多く、大いに楽しむことができた。特に、2日目の日立では、何も基本情報を持たないままの出会いだったので、「青春18切符」によるぶらり旅の面白さを堪能することができた。

<My Favorite Songs>

Julie London

youtu.be

  ジュリー・ロンドンは元々映画女優であったが、結婚により引退。一時主婦業に専念していたが、離婚を契機に歌手として芸能界に復帰。この「Cry Me A River」がヒットして一躍人気女性歌手になる。(Wikipediaより)

 最近家で仕事をする際に、バックミュージックとしてこういったオールドジャズを聴くことが多い。ゆったりとした旋律とハスキーな声は、仕事の邪魔をしないし、実に心地よいのである。ながら族には丁度良いと思う。

 もちろん、アップテンポの曲も聞くし、嫌いではないが、仕事のバックミュージックとしては、こういう曲が良い。

 

別れの季節

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 春は季節の変わり目であり、慣れ親しんだ友人や同僚との別れの季節でもある。自分の勤務先でも昨日市内のホテルで送別会が開かれた。コロナでの自粛期間もあり実に4年ぶりになるであろうか。

 このような一つの儀式としての別れであれば、それなりに挨拶だの花束贈呈などの進行があって、粛々と進んでいくものだが、友人や近親者との別れの場合は、うまく気持ちを伝えられなかったりすることも多い。そして、それが一生忘れられない記憶として、ずっと心に残っていたりする事がある。

 自分の場合は、学生の時のある友人との別れが、忘れられない思い出の一つになっている。就職が決まった春休み、その友人と同じ電車にのって、それぞれの実家に向かっていた。他愛もない話をしていたのだが、いよいよ乗り換えのため彼と別れる際には、手を振って「じゃあな」としか言えなかった。もっと言いたい事はあったはずなのだが、男同士の照れくささからか、それ以上の言葉が見つからなかったのである。短い期間ではあったが、ともに学び、笑い、酒を交わしたその友人とは、それ以後2度と会うことはなかった。

 もう一つは、母親との別れである。事情があって、自分の両親は故郷の長崎県壱岐の島に暮らしていた。やがて父親が亡くなり、その七回忌の際には、休みをもらって島で1週間ほど過ごした。そして、高速フェリーで帰る際には、親戚の叔父さんたちと一緒に、波止場で一生懸命手を振って見送ってくれた。この時も、「じゃあね、元気で」位しか言えなかったと思う。だんだん小さくなっていく母親の姿を見届けて、自席に戻った時に、涙があふれて仕方なかったことを覚えている。結局、生前の母親に会ったのは、この時が最後であった。

 別れは、いつか必ずやってくるものらしい。それは、多くの場合、さびしさや悲しさを伴うことが多いが、同時に一生消えない記憶として深く心に刻まれていくものでもある。それえは、何物にも代えがたい、素敵な宝物でもある。

<My Favorite Songs>

youtu.be  言わずと知れたユーミンこと荒井(松任谷)由美の名曲である。1975年2月発売。ハイファイセットへの提供曲としてリリースされた。

 最近知った事なのだが、ここで出てくる「あの人」とは学生時代の恋人ではなく、美術の先生の事だったそうである。当時、美術で芸大を目指していて、この先生がずいぶん励ましてくれたそうだが、結果は不合格。家庭の事情で多摩美術大学に進学する。

せっかく応援してくれていたのに、やがて音楽への道を歩み始めてしまう事になる。そんな思いを歌ったものなのだそうだ。

 

 

古希を迎えました!

 先日、とうとう古希を迎える事になった。早いものである。このブログを始めたのが、65歳だったから、既に5年経った事になるが、実感はあまりない。あえて言うなら体力が少しずつ落ちてきている事と、物忘れが多くなった位だろうか?

いよいよ夢の(?)70代である!

 ところで、誕生日祝いという訳でもないが、今年も恒例の年度末お疲れ様旅という事で伊豆方面に出かけてきた。

 3月11日(月)朝8時半頃、自宅を出発。いつもなら11時過ぎには熱海に着くのだが、今回は結構渋滞していて12時頃になってしまった。昼食はいつもの柾家で。

カマス焼定食

  今回も、カマスの焼定食を注文。この時期なのでブリも良いのだが、一度カマスの味を知ってしまうと毎回注文してしまう。魚の食べ方は決して上手な方ではないが、これだけはきれいに完食!

 宿泊場所は、伊東市一碧湖近くのコンドミニアム型のホテル。建物は古いが、格安で泊まれる事と、温泉があることや静かな環境が気に入っている。午後、3時半頃には早めのチェックインをした。

 3月12日(火)朝から結構な雨!1日降り続くとの事で、屋外での活動は難しそうなので、西伊豆沼津市が運営する「駿河湾深海生物館」に向かう。

 市営の施設のため、かなり老朽化している感は否めないが、深海魚というあまりなじみのない生物の標本が多数展示してあり、それなりに楽しめた。漫才コンビのココリコ田中氏が名誉館長をしているそうで、等身大のパネルが展示してあった。

 この生物館には、戸田の「造船郷土資料館」が併設されていて、そちらも見学する事が出来るのだが、幕末の頃に起きた大地震により沈没したロシアの軍艦を、日本の船大工たちが再建したという史実を知る事が出来た。当時は、まだ鎖国で外国人との交流が禁じられていた時代に、戸田の人々が温かく迎え入れ、無事母国に戻る事ができたそうだ。この時の船長がプチャーチンという人だが、その後、娘のオリガ・プチャーチナさんが戸田を訪れ、感謝の言葉を伝えたそうである。

 現在、日本とロシアの関係は決して良いとは言えないが、このような史実があったことを初めて知ることができた。

宝泉寺(戸田)

 帰り際、近くの宝泉寺に立ち寄ってみた。ここは、船が沈没した後プチャーチン提督一行が滞在していた寺で、この時亡くなった2名の水兵の墓があるそうなのだが、あいにくに雨でこの時には確認できず。今は、静かに佇んでいる。

 3月13日(水)雨もあがり、一碧湖の外周を朝散策してみた。本来1時間もあれば1周できるらしいのだが、途中の道がぬかるんでおり、半周しかできなかった。それでも、早朝の散歩は大変気持ちよく、反対側にある与謝野鉄幹・晶子の句碑まで行きつく事が出来た。(鉄幹と晶子は、新詩社の同人の自宅が一碧湖畔にあり、この湖をこよなく愛していたという。)

「初夏の 天城おろしに雲ふかれ みだれて影す 伊豆の湖」(鉄幹)

「うぐひすが よきしののめの 空に啼き 吉田の池の 碧水まさる」(晶子)

熱川温泉

 伊豆高原を後にして、最後に熱川温泉へ。こちらに泊まるのは3回目だが、圧倒的な湯量と目の前に広がる景色が素晴らしいので大変気に入っている。部屋も、ちょっぴり贅沢して、露天ぶろ付きの部屋を予約。心地よい海風を感じながら入る露天風呂は何物にも代えがたい!この写真には写っていないが、少し左側に大島が見える。

 食事も、なかなか趣向を凝らしたもので楽しませてくれたが、やはり伊豆にきたらキンメダイは外せない。大型のキンメダイが豪華に皿に盛りつけられ、目にもおいしいごちそうである。

 最終日は、熱川から沼津に上がる。2日前にも深海生物館に行ってきたが、今度は沼津市場の横にある、深海水族館へ。この水族館の一番の売りは3億5千万年前に絶滅したと言われていたシーラカンスである。特に、冷凍した2体の展示は世界でも珍しいそうだ。もちろん、日本近海のものではないが、1981年に日本シーラカンス学術調査隊が現地と協力して捕獲した個体なのだそうだ。話には聞いていたが、本物を見るのは初めてで、その大きさと長い歴史に圧倒された。

 70歳という一つの節目を迎えたわけだが、特別何かが変わるわけではない。ただ、今まで同様、健康と毎日の暮らしを大切にしながら、楽しみながら歩んでいきたいものだと思う。

 先日、夕方から突然の雨。その時に、2重の虹が出た。ダブルレインボウは幸運のサインなのだとか。今年も、良い事が訪れるかも?

<My Favorite Songs>

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 前回の「Woodstok」に続き、Joni Mitchellの「Both Side Now」。聞きやすいメロディだが、詩はやや難解であると言われている。自身も詳しくは分かってないのだが、成長するにつれて1面的な見方から様々な見方ができるようになっていた一人の女性の歌なのだと解釈している。

 日本では、「青春の光と影」という邦題で、Judy Colinsのバージョンがヒットしたと記憶している。

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防災用品について考える

 

本当に必要な防災用品とは?

 1月1日の能登半島地震以来、街のスーパーなどでは防災用品が継続的に置かれるようになった。以前は、防災の日などの特定の期間だけだったように記憶しているが、やはり今回の地震の影響は、それほど大きなものがあったという事なのかも知れない。

 我が家の場合、今までさほど強く意識してきた訳ではないが、少しずつ買いそろえてきたものはあった。ただ、何がどの位あるのかがきわめて曖昧だったため、あらためて確認してみる事にした。結果は、次の通り。

              <防災用品一覧>

                     2024 2.23
1 カセットコンロ 1
2 カセットコンロ用ボンベ 3
3 緊急非常用袋 1
4 ケータイ水タンク(10リットル) 2
5 ノロキラー(除菌) 1
6 懐中電灯&ラジオ 1
7 単2電池 4
8 単3電池 2
9 非常用袋(水筒2,軍手、ろうそく、緊急トイレ、ロープ、絆創膏
包帯、あめ、ライター、携帯ラジオー乾電池付き)
1
10 ハンドタオル 2
11 除菌ジェル 2
12 簡易トイレ(10回分) 1
13 ハンドタオル(scottie) 2
14 マフィン(賞味期限 2027,10.06)

 正直、思っていたよりはあるなと思ったのだが、基本的に災害に対してどのように考えていけば良いのか、今回の能登半島地震での被害状況を踏まえて整理してみることにした。

1.地震の大きさ(マグニチュード)をどの程度予測するか?

 今回の能登半島地震の場合、マグニチュード7.6で阪神淡路大震災熊本地震に比べて0.3しか違いはないそうだ。ただし、マグニチュードは1大きくなるとエネルギーは32倍も大きくなるそうである。自分の住んでいる千葉県市川市でも同程度の地震が起こる可能性は決して低くはないだろう。

2.家屋の倒壊等を、どの程度予測するか?

  ニュース等でも取り上げられていたが、災害の認定は、「全壊」「大規模半壊」「半壊」「一部損壊」の4区分で認定されるそうだ。地震によって、我が家がどの程度の被害を受けるかを予測するのは難しいが、概ね次のような点を考慮した上で、「一部損壊」または「半壊」と想定することにする。

①地盤の強さ

 「地震に強い土地」というのは、言い換えれば「地盤が固い土地」の事であるので、自分が住んでいる土地の状況を、知っておく必要がある。今回、一部の土地で液状化現象が起こったが、これは海沿いや河口付近など比較的砂地の所に多く発生しやすいと言われている。(実際2011年の東日本大震災の際に、千葉市習志野市浦安市東京湾沿岸部や利根川沿いの地域に液状化が起こっている。)役所等で出している防災情報である程度確認できると思われる。

②地盤に合わせた基礎

 我が家の場合は、「ベタ基礎」と言って建物の床板の一面をコンクリートで支える仕組みになっている。家を建てた時の業者の話では、地震があった時に基礎と家屋が一緒に揺れる事で、被害を軽減させる役割があるという話を聞いた。これ以外に、軟弱な地盤に対してコンクリート杭を打つ場合もある。このあたりは、それぞれの地域や個人の考えによるものが大きいだろう。

3.一時避難を何日位と想定するか?

 いくつかの資料を見てみると、概ね3日程度としているものが多いようである。(もちろんもっと必要であるという考えもある)しかし、一般的な家庭でできる備えとしては、この程度が妥当な所ではないだろうか。そうすると、どんなものをどれくらい準備すれば良いか一つの目安ができる。

4.具体的にどのようなものが、どれ位必要になるか?

【飲料水】一人1日3リットルを目安に3日分。飲料水とは飲み水に調理用を含めた生活水も含まれるので、これ位の量になるらしい。

【食料品】温めれば食べられるごはん(一人5食分程度)、備蓄用パン、ビスケット、あめやチョコなど、一人最低3日分。電気やガスが使えないことが想定されるので、カセットコンロや、調理を要しない食物が必要になるだろう。

5.我が家の装備品に不足していると思われる物

〇緊急用バッテリー・・家電も使用可能な大型バッテリーやスマホの充電用モバイルバッテリーなど。(最近は自動車からも電源を確保できるもの

〇現金・・停電が続くとATMや電子マネーが使えない可能性があるため、いくらかの現金が必要と思われる。(札と小銭)ただし、これは日常的に使用するものなので、防災用品に含めるかは、検討する必要がある。その他、通帳や印鑑などもこれに属する。

〇食料品・・これから少しずつ増やしていく予定。

〇タオル、防寒シート・・体を拭いたり、かんたんな目隠しとして使用可能。また、防寒用アルミシートは、毛布よりかさばらなくて良いらしい。

〇衣類・・下着など

 

 考え出すときりがないのだが、とりあえず今回はこれ位で。

<My Favorite Songs>

伊勢正三 Musician

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 「かぐや姫」~「風」と活動してきた伊勢正三が、伊勢正三としては1stアルバムとなる「北斗七星」に収録されている曲。(1980年4月発売)おそらく、ほとんど話題になる事もなく、知らない方も多いと思うのだが、伊勢正三の抒情性あふれる詩が秀逸な曲の一つであると思っている。

ひとりだった頃は この時がとても寂しかった

座席にギターケースつめこんで 帰る道程

コンサートが終わり 君の処へと向かう

少し 人いきれに酔ったみたい

でも 心地よく高ぶるのもいい

 

今日は いいフレーズが弾けたからと

君に説明しても 君はたぶん笑っているだけ

 

それより君の今夜のPotato Salad

また少しどこか違うと言うのかい

夕暮れの街 | GANREF

 先日の、仕事帰りの夕暮れ時に、ふとこの歌のフレーズが浮かんできた。

 ちなみに、この日の我が家の夕食はカレーだった。

 

 

 

 

 

 

冬来たりなば春遠からじ

 立春が過ぎたばかりの5日から6日にかけて、関東では2年ぶりの大雪になった。幸いなことに自身は、休日で自宅に籠っていたので、雪の被害に遭う事はなかったが、ニュースによれば高速道路が通行止めになったり、電車が動かなくなったため大変な思いをされた方も多いという。また、勤務先では、娘さんが八王子で受験のため、前泊したという同僚もいる。科学の発達した都会だが、一たび大雪に見舞われると、その機能がマヒしてしまうのは今に始まった事ではないが、自然の力に対して、いかに人間が無力なのかを思い知らされる。

 本年1月1日に起きた能登半島地震でも、従来の想定をはるかに超える巨大なエネルギーは、多くの人の命や暮らしを奪ったし、今もなお2万人以上の方たちが避難生活を余儀なくされている。大地に根差して暮らしている私たちに対して、自然は大いなる糧を与えてくれるが、時にこんな無慈悲な仕打ちをしてくるのだ。

 人は、突然大きな不幸に見舞われると、頭の中が真っ白になって、しばらく何も考えられなくなるという。涙することも忘れ、呆然としてしまうのだ。一瞬にしてがらがらと崩壊してしまった我が家、助ける事の出来なかった命、描くことのできない未来への不安、厳しい寒さとの闘い!

 「こちら側」にいる自分などには到底分かるはずもないが、一日も早い復興への道筋を見出していけることを心より願いたい。

 「冬来たりなば春遠からじ」

 学校の再開やボランティアの受け入れ、様々なインフラの回復等のニュースを聞くたびに、この言葉を思い出す。「寒さ厳しい冬が来たならば、暖かな春の訪れもそう遠くない。」という意味になるのだろうか。(日本のことわざなのだと思っていたら、実は、イギリスの詩人シェリーの詩「西風の賦」の中の一節を訳したものなのだそうだ。この詩人は多くのスキャンダルや家族の死などに翻弄されたそうだが、この詩もそんな心情の中で生まれてきたものなのかも知れないと勝手に考えたりする。)

梅五分咲きです||ブログ|岸根公園公式サイト|公益財団法人 横浜市緑の協会

 実際、ここ数日の暖かさのせいか、珠洲市の倒壊したある家屋の横で、紅梅の花が5分咲きになり、被災した人たちの心をなごませているという。

 「どんなに自然の怖い事があっても、きれいに咲いてくれる事はうれしいです。希望を持てます。」(NHKニュースより)

 

 東日本大震災の時も、少しでも何かの役に立てればと思い東北方面に旅行に行った事があったが、今回もできるだけ早い時期に石川県に足を運びたいと思っている。

<マイ ギャラリー>

ナナホシテントウ

<My Favorite Songs> 

youtu.be

 実は、つい最近知ったことなのだが、この「Woodstock]という曲は、「Both side now」や「Cyrcle Game」で有名なジョニー・ミッチェルの曲なのだそうだ。高校生の時に初めて聞いて以来、ずっとCSN&Yの曲だとばっかり思い込んでいたので、これは驚きだった。

 当時、ジョニー・ミッチェルがCSN&Yのグラハム・ナッシュと付き合っていた事も関係しているらしい。当時なんてかっこいい曲なんだろうと感動したのを覚えている。この年になっても、新たな発見というものがあるものだ!

ちなみに、自分がずっと聞いていたCSN&YのWoodStockはこちら。

youtu.be

えい!

 

  ジムでは、いくつかのマシンを使ってトレーニングをするのだが、その中に「チェストプレス」というものがある。これは、椅子に座った状態のまま、両腕を前に突き出すような動きなのだが、腕の裏側や胸の筋肉に効果があるそうだ。当然、重りがあって、自分にあった重さをセットして行うのだが、あまり軽すぎるとトレーニングにならないし、重すぎるとフォームが崩れてしまい、正しい動きにならない。そこで、ある程度の負荷がかかる重さで行うのだが、力を入れる前に、気持ちを集中するための時間が必要となる。それは、ちょうど重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる直前に似ている。

 人によって、その時のタイミングの取り方は異なると思うのだが、自分の場合は、いったん頭の中を空にしたあと、呼吸を整えながら、最後は「えい!」と、一気に両腕を前に突き出すようにしている。その際、腕を伸ばし切った時のイメージを描きながら行っている。こうすることで、成功できた時のイメージに一気に近づく事ができるような気がする。

  実は、これと似たような事は日常生活の中でもあって、例えば、行きたくない会合に行かなくてはならない時などがそうである。「あー、行きたくない」「めんどくさい」などと思っているから、つい支度などもグズグズしがちなのだが、いよいよ時間がなくなってくると「えーい!仕方ない」としぶしぶ出かける準備をする。(男性の場合、スーツなどの上着を着ると、気持ちが切り替わることもある。)そして、いざその会合に出てみると、案外楽しかったり、意外な人との出会いがあったりすることもある。

 いわゆる「案ずるより産むが易し」なのである。

 

 冬の朝、まだまだ寝ていたい自分と、起きなくちゃいけないと戦っている自分がいて、結局は起きることになるのだが、ちょうど動きだすその瞬間に似ている。

 「えい!」の号令をいつかけるかは、その時によってちがうし、かけないままいってしまう事もあるが、今の現状から一歩踏み出したい時には、良いきっかけになるかも知れない。 

<My Favorite Songs>

youtu.be この曲は、本来「マリオネット」というポルトガルギターマンドリンで演奏を行う二人組ユニットによるもので、先日購入したガットギターで演奏してみた。

 今までギターの単音でメロディーを弾くことはあまり経験がなかったのだが、今回あらためてその難しさを感じた。

 例えば、一つの音を出すにも力の入れ方、弾き方等々によって、音色は微妙に変わる。また、メトロノームのように機械的に弾くのではなく、若干の「ため」のようなものを入れたり、強弱をつけたりする事によって、感情表現が可能になると思うのだが、その仕方が難しい。まだまだ未完成だが、はじめての演奏ということでご容赦願いたい。ちなみに、本家である「マリオネット」の演奏も掲載しておく。

youtu.be

 



 

 

おつかれさまの旅へ(伊豆高原~横浜)

 2023年も残り僅かになってきた。毎年、この時期はバタバタとせわしないのだが、それでも何とか時間を作って、「2023年おつかれさまの旅」に出かけてきた。と言っても、いつものコース「伊豆高原~横浜」だが。

熱海アーケード通り

 12月17日(日)朝8時30分頃出発。熱海には11時近く到着。昼食を取るには少し早かったので、久しぶりにアーケード通りの方まで散策に。ここ数年、熱海は若者たちの姿がよく見られるようになった。

 おそらくSNSか何かで取り上げられているのだと思うが、なぜか特定の店に若者たちが集まっている。ある店は大入り満員だが、その隣の店はガラガラという不思議な現象が起きている。また以前から、熱海プリンの店がいつも若者でにぎわっていたが、最近はシュークリームの店にも行列ができている。

征家(まさや)の焼魚&刺身定食

 そんな若者たちの行列を横目で見ながら、いつもの「征家(まさや)」に入店。こちらはカウンター席が6~7隻、入り口脇に小上がりのある小さな店である。無口だが腕の良いご主人と奥さんの二人で営んでいる。ここ数年、熱海を訪れる度に伺っているので、すっかり顔なじみになっている。今回もカマスがあったので速攻注文する。

 以前も書いたかも知れないが、カマスと言えば「ひらき」位しか知らなかったが、上品な白身がほっくりとしていて、適度な塩加減が絶妙な味わいである。冬場のブリも捨てがたいが、最近はもっぱらカマスが良い。

川奈ステンドグラス美術館(HPより)

 熱海を出た後、少し時間があったので川奈のステンドグラス美術館に立ち寄った。こちらは、1800年代のヨーロッパのステンドグラスを中心に、約300点が展示されている。館内には、川奈のゴルフ場と海の見える素敵なカフェも併設されている。

 カフェでコーヒーを頂き、海と空を見ながら、ぼんやりと時間を過ごす。

 午後4時頃宿泊先にチェックイン。夕食前に、伊豆グランパル公園で「体験型イルミネーション」というのをやっているとの事で、はじめて出かけてみた。

グランイルミ

 伊豆高原には毎年来ているのに知らなかったが、今年で9年目でありイルミネーションランキングで7年連続1位を獲得しているそうだ。

 12月18日(月)朝食をすませた後、宿泊地の周囲を散策。9時頃には出発して、お気に入りの和菓子「石舟庵(せきしゅうあん)」へ。いちご大福や塩豆大福などの和菓子以外に、「朝プリン」なるものがあって、朝からこれを頂くのがここ最近の通例になっている。今のところ、ここのプリンが自分的には1番の推しである。

石舟庵(せきしゅうあん)

朝プリン

 その後、下田方面へ。お目当ては「道の駅開国下田みなと」内にある、地魚料理を出す「さかなや」のキンメダイである。地元のお母さんたちがやっている定食屋で、値段もリーズナブルで美味い。

刺身&金目煮付け定食

 昼食後は、下田の町をぶらぶらと散策した。この町はいつ来ても、景色がほとんど変わらない。ここだけが、まるで時間が止まっているような、不思議な感覚にとらわれたりする。

了仙寺

 1854年にペリーが来航し、日米和親条約が結ばれたが、その後下田の了仙寺でさらに細かな内容まで話し合われることになった。この中で、アメリカ人は下田の町を自由に歩く権利「遊歩権」を与えられた。(海軍の軍楽隊が下田の町民を対象としたコンサートを開いたそうである。)今は、そういう歴史の渦から取り残されたように、ひっそりとした時間が穏やかに流れている。

ペリーロード

ペリーロード

 12月19日(火)旅の終わりは横浜へ。今回は、以前から気になっていた「帆船日本丸」と「横浜みなと博物館」を訪れてみた。

帆船日本丸

 日本丸は周知の通り、日本の航海練習船で数多くの実習生が、この船で実践的な演習を行ってきたが、1984年に引退。現在は、横浜市の所有となり「日本丸メモリアルパーク」内のドックで展示・公開されている。「横浜みなと博物館」が併設されており、共通の入場券でどちらも見学する事が出来る。

船長公室(左)と実習生室(右)

 何といっても横浜の街は、夜景がすばらしい。現在、横浜大さん橋山下公園を中心に光のイルミネーション「ヨルノヨ」を開催中である。(~2024.1.4)

 

 旅には色々な楽しみや喜びがある。その中でも最近の最大の楽しみは「食」だと思っている。その土地ならではの美味しいものを頂くことは、大げさに言えば生きる喜びにもつながる。決して高価なものでなくても、新鮮さであったり、珍しさであったり、あたたかさであったりする。

 そして、もう一つの喜びは、日常生活から完全に切り離され、自分をリセットすることができる事だと思う。目に映る景色や感じる空気感や初めての出会いなどから、新鮮な刺激を受けることが心地よい。今は、日常に戻ってきたが、心はすでに次の旅を心待ちにしている。

<マイ ギャラリー>

アブラゼミ

<My Favorite Songs>

斉藤和義おつかれさまの国

 

1日に何度も繰り返すその言葉

もしかしたら「こんにちは」よりも多いくらい

その人の疲れに「お」をつけて

「さま」までつけて

「おつかれさまです」と

声かけるぼくらの日々

 

やさしくて強くて一生懸命で

生きることはただそれだけでも大変で

その愛も仕事も大切で頭を下げて

「おつかれさまです」と

いいかわすぼくらの国

 

つらいのはわかってる

だけどわからないよ

誰だってそれぞれ隠した切なさは

ほんとうは言えなくて

だから言うのだろう

ありがとう 大丈夫です

おつかれさまです