前回の「すごい人」に続いて、今回は「あこがれの人」。
子どもの頃の「あこがれの人」は、テレビに出てくる「ヒーロー」で、例えば少年ジェットや月光仮面、野球の長島選手や相撲の大鵬・柏戸だった。友人たちと遊ぶ時は、風呂敷1枚あれば月光仮面になりきれたし、相撲をとれば大鵬役や柏戸役に分かれて興じたものだ。現実にはないものに、自らなりきって遊ぶ「ごっこ遊び」は子どもたちの特権なのだ。
中学生の頃には、グループサウンズや加山雄三の音楽や映画にあこがれた。友だちからバンドに誘ってもらって、毎日何時間もギターの練習をしていたものだ。また、当時の歌は、「恋、夢、湖、星、夕焼け」などのきれいな言葉がちりばめられ、そんな世界にも憧れていた。テレビや映画の中の作られた虚像の世界に浸っていた。
高校1年生の秋、自分の通っていた学校では、先輩たちがバリスト(バリケートストライキ)封鎖してしまい、その後翌春まで毎日話し合いなどで授業らしい授業はなかった。(いわゆる、70年代学生紛争の余波である。)それまで、だれもが信じて疑わなかった価値観が、がらがらと崩れていき、はじめて、現実社会の荒波に遭遇した時代であった。
1年間の浪人生活の後、大学生になった頃は、あこがれというよりは、自分探しの旅を模索していたように思う。当時の若者たちは、だれもが社会に対して、やや背中を向けながら、「何か」を探していたし、その「何か」が見つからずに、不安といらだちを感じていたように思う。
哲学や宗教の本などを、意味も分からずに読みふけっていたのもこの頃である。そんな、混沌とした時代に一つの区切りをつけたのが、吉田拓郎の「襟裳岬」だった。
北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
社会人になってからは、毎日の仕事に追われる毎日だったが、Tさんという10歳も上の職場の先輩によく面倒を見てもらった。Tさんは大学生の時に、カローラで世界一周の旅に出かけた後、大型トラックの運転手を務め、30歳過ぎてから同じ職場で働くようになった方で、とてもユニークな存在だった。見た目はバンカラ風で言葉遣いもお世辞にも丁寧とは言えなかったが、よく自分たちのような若造の面倒を見てくれたし、幅広い経験とスケールの大きな見識を持っていた。
とてもTさんの真似はできなかったが、「もし、Tさんだったらどんな風に考え、どんな風に行動するだろうか。」と思ったりもしていた。自分にとっては、一つの人生の指標を示してくれた存在であったと思う。
その他にも、お世話になった方や面倒見て頂いた方はたくさんいるが、自分にとっての「あこがれの人」はTさんが最後だったように思う。
Tさんは、現在78歳で今もお元気である。
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