行雲流水の如く

-Re-Start From 65 Years Old-

湯西川温泉かまくら祭り

東武浅草駅

 

 

  昨年7月石和温泉への旅から約半年、今回の男3人旅は湯西川温泉に出かける事になった。コロナのためずっと開催できなかった「かまくら祭り」が3年ぶりに再開するというので、それを見に行くのが一番の目的である。

 1月27日(金)朝、8時15分京成電車市川真間駅に集合。浅草を9時30分発、会津田島行き特急リバティで湯西川温泉に向かう。

 

 朝食は軽く済ませていたが、駅の売店でヨシカミのロースかつサンドを発見!

 これは買うしかないという事で、早速列車の中で頂くことにした。景色を見ながらのロースかつの味は格別で、こういうことが列車の旅の楽しみの一つでもある。(ちなみに、今は車内販売はしていないそうだ。)

まるご鬼怒川 東武フリーパスと特急券

 今回は「青春18きっぷ」ではなく、「まるごと鬼怒川フリーパス」という周遊券を購入した。これは、浅草から下今市までの往復乗車券と、下今市から湯西川温泉までの電車やバスが自由に乗り降りできる周遊券である。

一面の雪景色

 先日の寒波の影響なのか、鬼怒川が近づいてきたあたりから徐々に雪景色が見られるようになってきた。

 11時57分、湯西川温泉駅に到着。ここまで来ると、すでに周りは一面の銀世界である。ここから、バスで湯西川温泉に向かう。ちょうど昼時でもあり、まだ時間に余裕があったので「湯西川水の郷」で途中下車。ここは、言わば道の駅のような施設で、簡単なレストランと売店、立ち寄り温泉施設などがある。

湯西川水の郷

 人は少なく、時折立ち寄り温泉に来た客が、ちらほらと見かける程度だった。次のバスを待つ間に、昼食をとったり足湯につかったりして時間を過ごす。風はほおをさす程冷たいが、足先が温まってくると寒さを感じなくなってくる。

 さあ、ようやくバスが来たというところでハプニングが!バスが満席のため次のバスにしてほしいと言われたのだ。次のバスが来るのは2時間後💦仕方なく、湯西川温泉まで残り約3km、約30分の道のりを歩いて向かうことにした。

 やっとの思いで3時過ぎに宿に到着。夕食までの時間は温泉を楽しんだり、近隣を散策したりして過ごす。祭りは夕方5時半からなので、夕食を早めにしてもらって、夜7時頃旅館の車で会場まで送ってもらった。 

 この祭りは1994年から始まったもので、客足が落ちる原因となっていた雪を活かして、旅館組合や商店街が始めた祭りなのだそうだ。当初は大きなかまくらを作って目玉としていたが、2001年頃からミニかまくらをたくさん作って、その中にろうそくを点灯するようになったという。「平家の里」をメイン会場にして、河川敷等数カ所で実施している。

 予想以上の幻想的な美しさに、時の経つのを忘れる程であった!なお、見学中にNHK栃木放送の取材を受け、それがその日の夜のニュースで流れるというハプニングもあった。

早朝の「平家の里」

 28日(土)9時にチェックアウト。鬼怒川駅行のバスの始発が、平家の里から出るため、そこまで宿のおかみさんが車で送ってくれた。昨夜からの雪は、今朝も降り続いていた。9時半のバスに乗り込み鬼怒川駅に戻り、とりあえずおみやげを購入。

 今回も全国旅行支援を利用しているので、2,000円分のクーポン券で購入する事ができた。その後、駅の周辺を散策。徒歩で30分程のところに大吊橋があるというので、その見学にぶらぶらと出かけた。

鬼怒盾岩大吊橋

 このつり橋は、鬼怒川温泉街と名勝「盾岩」を結ぶ全長140mのつり橋で、高さは37mあるそうだ。前方を見ている分には問題ないが、上から覗きこむとさすがに足がすくむほどだ。橋を渡った先には「盾岩展望台」や手掘りのトンネル、盾岩鬼姫神社などがあるそうだが、今回は時間がないため引き返すことにした。

 昼食を済ませて、13時20分の東武鬼怒川線下今市へ。ここで約20分ほど特急列車を待って、一路浅草へ。待ち時間の間に蒸気機関車を見ることができた。この列車は「大樹(たいじゅ)」という名前で、この下今市鬼怒川温泉間を走る観光用の蒸気機関である。駅構内にはSL展示館や転車台広場などがあって、たくさんの観光客が写真を撮っていた。

駅から見えた山々(左は男体山

 たった1泊2日の旅であったが、今回も多くの予想外の出来事があって、大いに楽しむことができた。それは、決して良い事ばかりではないが、偶然がもたらす出会いというものは実に愉快で、これは車の旅ではなかなか経験できないのではないかと思う。

 男3人旅、次回は夏ごろになりそうだ。

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越谷市レイクタウン

<My Favourite Songs>

The Seekers 「The Carnival Is Over」


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 シーカーズと言えば「ジョージ―ガール」(1967年)ぐらいしか知らないのだが、元々はオーストラリアで結成されたコーラスグループで、その後イギリスに渡って成功を収めた。この曲は、デビュー当時の曲なのだそうだが、妙に心に響いてくるので、今回取り上げることにした。1965年イギリス・オーストラリア等のチャートで1位を獲得した。

 さらに、調べて行くと原曲はロシア民謡「ステンカ・ラージン」という曲だという事も知った。ステンカ・ラージンはロシアの農民運動の指導者で国民的英雄である。


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3年ぶりの苺狩り

山武市成東の苺園

 1月21日(日)に、久しぶりに千葉県山武市成東へイチゴ狩りに出かけてきた。コロナが流行するようになってから、ずっと行っていなかったので実に3年ぶりになる。

 朝8時に息子宅のある西船橋で合流し、車2台で京葉道路から東金有料道路を通って、山武市成東の緑川苺園にむかう。実は、昨年末に息子家族は初めての自家用車を購入した。(もちろん中古)そのため、毎日のように近場の大手スーパーなどへの買い物に使っていたようだが、今回のような遠出ははじめての事で、自分が先導しながら制限速度ギリギリの所でゆっくりと走っていった。

 現地には、10時近くに到着。日曜日でもあり、混雑を予想していたが、思いの外空いていて、制限時間の40分ぎりぎりまでゆったりと楽しむことができた。

 イチゴの種類は13種類。紅ほっぺ、とちおとめ、ゆめのかなどのメジャー所からあまり聞いたことのない品種まで、少しずつ粒の大きさから香りや甘さの違いがあって、春の味覚を大いに楽しむことができた。上のお姉ちゃん(7歳)は以前連れて来た時に、もう帰る時間になっても「もう1周行く。」と言って、口のまわりを真っ赤にして頬張っていたのを思い出した。今回も「24個たべた!」と喜んでいた。下の弟くん(2歳)は、まだイチゴよりも、入り口にあるロッカーの鍵やビニルハウスの施設などに興味があったようだ。

 自分たちはと言えば、最初の10分ですでに満腹状態で、こんなところにも「年をとったなー」と実感してしまう💦

国民宿舎サンライズ九十九里の 外観

 お昼は、サンライズ九十九里という所の、レストランで。こちらは、国民宿舎だが九十九里の海の目の前に立つおしゃれな外観のホテルで、新鮮なお刺身や魚介類を頂くことができる。今回は、大人は全員刺身御膳に焼き蛤を頂いた。

 食後は、全員で目の前の海へ。3年前にはなかった防波堤などができていたが、海は相変わらず広くて雄大な景観を見せてくれた。上のお姉ちゃんは、落ちていた貝を拾い集めたり、下の弟君は初めての海に大喜びで、楽しそうに過ごしていた。

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筑波山

<My Favourite Songs>

Black Bird」 Crosby,Stills&Nash


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 前回、最近亡くなったミュージシャンの話を書いたばかりだが、今度はCSNY(Crosby、Stills,Nash&Young)のDavid Crosbyが今月18日に亡くなった。(この動画で最初に喋っている、ちょっとお腹大きめの人の良さそうなおじさん)1970年に発表された「デジャヴ」は、当時の全米第1位を記録した。いわゆるフォーク・ロックという分野になるのかも知れないが、変則チューニングや秀逸なハーモニーは、当時「学生街の喫茶店」などのヒット曲を持つ「ガロ」にも大きな影響を与えている。(実際、ガロはCSNYのコピーを得意としていた。)

 この動画は、ビートルズというかポール・マッカートニーの楽曲だが、自身もYoutubeで初めて聴いたものである。

「Carry On」


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 先ほどの「デジャヴ」に収められている名曲。高校生の頃、友人3人でこの曲に挑戦したが、あまりの難しさにギブアップした曲でもある。(とにかくキーがやたら高い!)今となっては思い出深い曲でもある。

 

 

 

 

 

 

 

ゴミを拾う

 2023年も早いもので、すでに2週間が経過した。今年の正月もいつものように、息子家族が遊びに来たり、館山への初詣に行ったりであっという間に過ぎてしまった。

 例年と比べて特別変わりばえのない、穏やかな1年の始まりとなったが、一つだけ違うとすれば、仕事場に歩いて行く時に「ごみ拾い」を始めたことだろうか?

 特段大した理由があったわけではない。以前、実際にごみ拾いしながら散歩している人を見かけたことはあったし、強いて言えばネットでごみを拾う人の記事を読んだこと位かも知れない。以前から、仕事に行く時は景色を味わったり、実験の事を考えながら歩いていたのだが、もっと有意義に過ごす事は出来ないかと思って、はたと思いついたのが「ごみ拾い」という次第である。

 まず、ごみを拾うためには道具が必要という事で、ごみ拾い用のトングを購入。「ステンレス万能トングストッパー付き」という代物で、値段はなんと316円。

 いつも、仕事に出かける時は背中にリュックを背負い、片手に弁当箱を持っていくので、左手に弁当箱と小さなビニル袋、右手にごみ拾い用トングといういで立ちになる。

 いざ、拾い始めてみると色々な事に気付いたりする。数として多いのはたばこの吸い殻、量として多いのは菓子パンのビニル袋やマスクなどである。菓子パンの方は、おそらく食べ歩きをしながら、不要になったビニル袋をポイ捨てしたと思われ、マスクの方はポケットからの出し入れの際に落としたのではないかと思われる。その他、コンビニのレシートや丸めたティッシュなども多い。

 自分の持っているビニル袋は、あまり大きくないので、基本的にペットボトルや大型のごみは拾っていない。また、あくまでも歩いている途中で拾うので、道路の反対側にあるものまでは手を出していない。

 片道約30分程度歩くと大体ビニル袋は一杯になるので、お昼の弁当を買うコンビニでゴミを捨てさせてもらっている。やはり、駅に近くなるほどごみは多くなる傾向がある。

 始めたばかりでおこがましいが、ごみを拾う事で、ほんのちょっぴりだけ社会の役に立てているような気持を感じる事が出来る。(何億分の1、何百億分の1だけ、街がきれいになったかも知れない。)

 正直言うと、今はまだごみを拾いながらも周囲の目線が気になってしまうことがある。別段悪い事をしているわけではないのに、どこかに気恥ずかしさのようなものを感じてしまっている自分がいる。近い将来、ごみを拾うことが特段当たり前の事のように思えるまで、細く長く続けて行こうかと思っている。

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現代産業科学館の夕景

<MY Faborite Songs>

Ian & Sylvia 「Four Strong Winds


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 最近、海外ではジェフ・ベック国内では元YMO高橋幸宏氏の訃報を耳にしたが、昨年12月には「イアン&シルビア」のイアン・タイソン氏が亡くなった。

 カナダのフォークシンガーで、ボブ・ディランニール・ヤング、ジュディ・コリンズなど多くのミュージシャンに影響を与えたと言われている。彼が作曲したこの「Four Strong Winds」は、特にニール・ヤングがカバーした事で、むしろそちらの方で聞いたことがある方もいるかも知れない。

 「4つの強い風」とは、季節ごとに東西南北から吹く風のことで、季節の移り変わりとその厳しさを歌ったものである。季節毎に移動する労働者たちが、恋人や家族との再会を夢見ているという恋の歌でもある。

 こちらは、ニール・ヤングによるカバー。(with Willie Nelson)


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朋あり、遠方より来たる

 

朝の境川

 気が付くともうここまで押し詰まってきてしまった。今年は特に後半から、様々な出来事が次々と重なり、夢中で駆け抜けてきたような感がある。良い事もそうでない事も、一つずつ受け止めながらも精一杯やってきた。もっとこうすれば良かったと思うことが常だが、これが自分にできる最大限なのだと開き直ったりもする。

 そんな、年の瀬にふと心がほぐれるような事が続いた。

 今月20日、以前の職場の先輩から連絡があり、「22日に久しぶりに当時の仲間と一杯やるから出てこないか。」とのお誘い。その日は出勤日で、近々やらなければならない仕事もあったので、一瞬ためらったのだが、結局夕方から待ち合わせの場所に出かけていった。案の定、自分は一番遅く合流したのだが、そこにはかつてお世話になった先輩たちや後輩たちが、なごやかに酒を酌み交わしてしていた。

 このメンバーと会うのは、おそらく7~8年ぶりだろうか。定年後の生活や孫の話し、夜中のトイレの話し、「そういえばあいつどうした」ということで、突然電話をかけてみたりと、楽しくも懐かしい時間を過ごす事が出来た。

 一番の長老は、いつか「あこがれの人」で書いた10歳上の大先輩である。泰然自若、矍鑠(かくしゃく)としたその物言いは、もうすぐ古希を迎える自分など、まだまだ若造なのだと思い知らされてしまう。そんなエネルギーをもらえた時間でもあった。

 また、昨日の夕方、突然かつての友人から電話があった。彼は学生時代の友人で、同じアパートに住んでいた事から、安い酒を飲みながら色々な話をしたものだった。その後、彼は地元の神奈川に帰ってしまってから、年賀状のやりとりだけになってしまったが、数年前に30年ぶりに東京で再開することになった。その後2~3度会う事もあったが、それも、彼の方が忙しくなってしまい途切れていた。、

 何やら、1年の仕事納めの日に、自分のデスクに戻ってきた時に、ふと話したくなったそうである。互いの近況など他愛のない話をして電話をきった。

 仕事や生活をしていく上で、多くの人たちと接しているが、何年たっても心許せる友だちや先輩がいるというのは、とても有り難いことなのだと思う。決して気負うことなく、別れる時もさりげない。そんな友だちを一生大事にしていきたいものだ。

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ハナミズキ

<My Favourite Songs>

Carol King 「You've got a friend」


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 ややもするとジェームズ・テイラーの曲と思われがちだが、実はキャロル・キングが1971年に発表発表したアルバム「つずれおり」に収められている。

 君が落ち込んで、困っている時

 少しの愛とか優しさが欲しい時

 全てがうまくいかない時

(そんな時は)目を閉じて、私のことを思い出して

 すぐに私が駆けつけて

 どんなに暗い夜も明るくしてあげる 

 

11月の雨(感傷的な独白)

 最近は、仕事を終えて外に出ると、もうすっかり日が暮れてしまうようになった。それもそのはずで、今日の日の入りは16:27なのだそうだ。おいおい、いつの間にそんなに早くなったんだいと言いたくなるが、これが冬至まで続くのだから、いやでも季節というものを感じざるを得ない。

 おまけに、今日は夕方から雨💦降りだしはもう少し遅いと聞いていたので、何だかんだとぶつぶつ言いながら、折り畳み傘をさして歩きだした。暗い夜道を傘差しながら歩いていると、色々な事を考えたりするものだ。(以下感傷的独白)

 

 今日は、朝から曇りがちでお客さんも少ないかなと思っていたが、午前中の実験の時に、就学前の小さな子どもたちが7~8人、親御さんと一緒に入ってきてくれた。

 実験の演目は「ガリレオの発見」。内容は決してやさしくはないのだが、小さな子どもたちなりに、一生懸命考えたり驚いてくれたりする姿が何よりうれしい。

 年を重ねてくると、誰かに喜んでもらえる事に、より喜びを感じるものらしい。

 

 自転車ですれ違った女子高生。傘がないのか、全身ずぶぬれ。あー、かわいそうに。あの時代の子どもたちって何を考えているんだろう。将来の事?好きなアイドルの事?ひょっとしたら彼氏の事?

 そういえば、自分にもあんな時代があって、それなりに将来について悩んだり、不安を感じたり、友だちとふざけあったりしていたっけ。(しみじみ~)

 

 来月の最後の日にやる「お楽しみ実験」。テーマは「磁石」で決まったが、細かいところがまだ決まらない。あー、どうしよう。導入は「磁石につくもの つかないもの」で入った後、磁力線の方に行くか・・いや電磁石か。もう少し、煮詰めないと!

 

 冬場になると、街の灯りがありがたく感じるものだ。誰かの家の窓からこぼれてくる暖かな光はいいね。それにしても、お腹すいてきた。昼はちゃんと食べたのに、最近夕方になると空腹感を感じるようになった。あー、また体重が・・・ 

 

 この前亡くなったSさん。あんなに元気で、頑丈で、大酒飲みで、冗談ばっかりいっていたのに・・・「がん」だったらしい。人って、自分が亡くなるかも知れない時、どんな風に思うんだろう?かつて、一緒に仕事していた人がいなくなるのは、さびしいものだ。まして、彼は自分より1歳下だったから。

 

 「11月の雨」っていう曲、聞いたことあるなぁ。あれ「12月の雨」だっけ?

(家に帰って調べたら、どうもユーミンの「12月の雨」と勘違いしていたらしい。でも、本当に「11月の雨」という曲がある事を知った。)

「11月の雨」 Chico With HoneyWorks


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 内容からすると、幼い頃互いに好きだった男女が、引っ越しで離ればなれになるのだが、その後高校生(?)になって再開するというストーリーらしい。もうすぐ古希が近づいている爺さんが聞く曲ではないと苦笑いもするが、こういった勘違いから出会うものがある事が面白いと思ったりする。

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無題

<My Favourite Songs>

 「Foever Young」  Joan Baez


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 言わずと知れた、アメリカのシンガーソングライターで、フォークの創成期から現在も活動を続けている。この歌は、2016年にノーベル文学賞を受賞したボブディランの曲で「いつまでも若く」という邦題がついているが、実は自身の子どもの成長を願った歌であるとされている。メッセージ性が強く感じられるボブディランだが、メロディーメイカーの面を感じることも多い。

 Nitty Gritty Dirt Bandのカバーは、全く違う曲に聞こえるが、これはこれで軽快なリズムが耳に心地よい。

 「Foever Young」 Nitty Gritty Dirt Band


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今年2回目の北海道へ

 10月31日(月)今年2回目の北海道旅行に出かけてきた。我が家は、一度気に入った場所があると2度3度と出かけるのが常で、今年2回目だが、ここ数年でみると5年連続の北海道旅行となる。なお、今回は全国旅行支援を最大限活用させてもらったので、結構お得な旅行となった。

 8時25分羽田発札幌行きで新千歳空港には10時着。その後、いつものようにレンタカーを借りてから、昼食は職場の仲間(北海道出身)ご推薦のラーメン屋「純連」に向かったが何と定休日!(HPには不定休と書いてあったのだが💦)

 それではと「すみれ」を探したがこれまた月曜定休日という事で、仕方なく「回転寿司トリトン」へ。実は、この店も北海道出身の仲間から教えてもらったのだが、魚介類にはちょっとうるさい北海道民にも人気の店なのだそうだ。

回転寿司トリトン(豊平店)*ネット借用

 月曜日の午後1時近くで、駐車場もさほど混んでいなかったので、安心して店内に入った途端、順番待ちのお客がぞろり!ここまで来たら仕方ないと、腹をくくって約40分。ようやく、最初の食事にありつけた。

 しかしながら、一口食べてそのネタの良さにびっくり。特に、生サーモンは脂がのっていて、とろりとした甘みがあって絶品であった。

北海道神宮開拓神社

 昼食後の最初の訪問地は丸山動物園近くにある北海道神宮へ。ここは北海道屈指のパワースポットと言われ、4つの神様が祀られている。特に北海道の開拓に関わる全ての人のための開拓神社は最も御利益があると言われている。

 ホテルにチェックインしたのが午後3時過ぎ、一休みしてから、今まで行けそうで行けなかった北海道大学のポプラ並木を見に出かけた。

ポプラ並木

 ポプラ並木のある北海道大学までは、ホテルから20分くらいの所だが、5時には日が暮れてしまうので、急ぎ足で向かう。大学構内は結構オープンで、一般の人も自由に行き来ができるようになっており、校内の案内標識を頼りに探していった。

 かつては台風の影響で、かなりのポプラが倒れてしまったそうだが、現在は写真の通りかなり整備されており、散策することも可能になっている。

北海道大学植物園

  旅行2日目。朝食の後、すぐ近くにある北海道大学の植物園へ。まだ人も少なく、さわやかな空気を感じながら、心地よく散歩することができた。この時期は特にハルニレの黄葉が大変美しかった。

 この植物園の中には、いくつかの建物があるのだが、その中の一つ博物館に入ってみて、意外な出会いがあった。

樺太犬タロ

 あの「南極物語」で有名なタロがいたのである。1958年隊員交代のため派遣された宗谷丸が悪天候のため接岸できず、犬15頭が無人の基地に取り残された。1年後、再訪した隊員によってタロ・ジロの生存が確認されたわけだが、ジロの方はその後南極基地で亡くなったそうで、タロの方は帰国して、その後9年余りこの博物館で余生を過ごしたのだそうだ。 

サケのふるさと千歳水族館

 10時頃、ホテルをチェックアウトして、一路千歳市の「千歳水族館」へ向かう。ここは日本で最大級の淡水魚を中心とした水族館で、親子で楽しめる施設である。(サカナ君のサインやイラストも掲示してあった。)

 ただ、この水族館の最も見どころは、建物の中から毎年秋に遡上してくるサケの大軍を観察できるところである。地元紙によると、今年のサケはすでに50万匹に達し、過去2番目に多かった2004年の50万匹を超える勢いだと言う。稚魚を放流した3年前の海水温が低かったことなどが影響しているらしい。

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旅行3日目。朝食をすませた後、支笏湖周辺の散策へ。青い空と少し肌寒いが心地よい風がむかえてくれた。

支笏湖

 泊まったホテルは、夏の時と同じところなので、お気に入りの写真を1枚。前の夜から時間をかけて抽出したアイスコーヒー。湯で淹れたコーヒーより苦みが少なく、すっきりした味が楽しめる。

水だしコーヒー

 今回は、秋の北海道の紅葉を見に行く事を一番の目的にしていたが、それ以上に目新しい発見の多い旅行であった。自分たちだけでは気づかない場所や食べ物など、多くの新しい刺激を得ることができた。次回は、余市や苫小牧の方にも足を延ばしていけたらと思っている。

(追伸)

 「純連」「すみれ」のラーメンを食べそびれたので、新千歳空港ラーメン道場の「雪あかり」で味噌ラーメンを食す。

味噌ラーメンとぎょうざ

<マイ ギャラリー>

white rose(模写)

<My Favourite Songs>

Gerry & The Pacemakers  [You'll Never Walk Alone]

 1960年代前半、イギリスで活躍したいわゆるマージ―ビート(リバブールサウンド)系のロックバンド。当時は、ビートルズとヒットチャートを争う存在であった。

 実は、このバンドの存在を知ったのは10年位前だが、明るいキャラクターと優れた演奏力・歌唱力が印象に残った。この「You'll Never Walk Alone」は元来ミュージカル「回転木馬」のための曲だったそうだが、地元のサッカークラブ「リバプールFC」の愛唱歌になっており、そこから世界中のサッカーファンに知られるようになったそうだ。

 Walk on Walk on(歩いて行こう)

 With Hope in Your Hert(希望を心に秘めて)

 And You'll Never Walk Alone(君は一人じゃない)

   You'll Never Walk Alone(君は一人じゃないよ)」

 

 
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さよなら、マル!

愛犬マル

 15年近く一緒に過ごしてきた愛犬のマルが12日亡くなった。実は、昨年の春、散歩中に突然倒れるという事があって、あわてて動物病院で診てもらったところ、心臓の片方の弁がうまく働いていないという事が分かり、それ以来心臓の薬や強心剤・利尿剤などを毎日飲み続けていた。

 ところが、ここ数日前から突然叫び声をあげて倒れるという事が何回か続き、声をかけたり身体をさすったりしてやっていた。そうすると、しばらくして、何事もないような顔で立ち直っていたのである。

 12日の深夜1時頃、再度この状態になったのだが、いつものように体をさすってやる事で落ち着いたので、こちらも床についたのだが、結局朝起きた時にはすで動かなくなっていた。

 人は突然身近な存在を失うと、しばらくはぽかんとして、現実の事として理解できなくなってしまうらしい。そして、時間の経過とともに、少しずつ現実の事として受け入れるとともに、深い喪失感に襲われるようだ。(これが、ペットロス?)

 思えば、初代の愛犬が亡くなった時も、この淋しさが半年も続いていた。

 特に、家に帰った時に、一番に出迎えてくれていた愛犬がいないという事が辛かった記憶がある。結局、そのさびしさを埋めるように、ペットショップに行って2代目のマルを迎える事になった次第である。

 小さい頃は、とても臆病でなぜかアスファルトの上を歩く事もできなかったのだが、大きくなってからは、自分より大きな犬に立ち向かっていこうとする勇猛な面も見せていた。エサも良く食べ、病気らしい病気とも縁がなかった。

 また、最初の孫がマルの事が大好きで、遊びに来ると一緒に散歩に行ってくれたり、マル用のふとんの所で一緒に遊んだりしてくれたりして、よく面倒を見てくれた。

孫とマル

 今はまだ、えさや散歩の時間になると「あ、えさあげなくちゃ」「散歩の時間だ!」と思ってしまい、そのたびに「あ、もうマルはないんだ。」と思ってしまったりする毎日である。

 本日、マルがお世話になっていた動物病院から花が届いた。あらためて、多くの人に愛され、そしてお世話になっていたんだなあと感じている。

 さよなら、マル!安らかに眠って下さい。